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まともな禅寺

1 :名無しさん@京都板じゃないよ :2001/07/19(木) 20:20
本当に悟ったお師家さんのおられる禅寺を教えて下さい。
マジレスのみ。

2 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/19(木) 20:29
発心寺系統のところが良いと思われ

3 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/19(木) 21:10
福岡にはありますか。曹洞宗がいい。

4 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/19(木) 23:15
福岡の曹洞宗寺院となると思い当たらないなぁ。
臨済系統ばかりじゃないかな。

5 :大きなお世話:2001/07/19(木) 23:17

生きていたらの話ですが

無名庵EOなんかどうでしょうか?

彼の弟子で鈴木方斬というひとがいます。

一度聞いてみるのもよいでしょう。

6 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/20(金) 00:34
>>5
興味深いですね。その方のサイトってありますか?
方斬さんはお坊さんなんですか?

7 :タンメン:2001/07/20(金) 00:45
2chではかな〜り評判わるいぞ。

http://piza.2ch.net/occult/kako/983/983333352.html

結局ただの自作自演ヤローでないの?

8 :ざげん:2001/07/20(金) 18:33
>>1

>本当に悟ったったお師家さんのおられる禅寺

少なくとも曹洞禅においては「悟り」に本当も嘘もありません。
「悟り」の完全な姿というもの掌を指すように見せることはできません。
ひとつ確かなのは、1のような探し方がもっとも禅の姿から遠ざかって
いるものである、ということです。

9 ::2001/07/20(金) 20:04
>>8

>少なくとも曹洞禅においては「悟り」に本当も嘘もありません。
「悟り」の完全な姿というもの掌を指すように見せることはできません。
ひとつ確かなのは、1のような探し方がもっとも禅の姿から遠ざかって
いるものである、ということです。

むむっ、そう言われると返す言葉もありませんな。
しかし、そのような風潮が今の曹洞宗における無事禅的な体質を生み出しているのでは?
悟らずとも良い、という安逸な考えが今の曹洞宗に蔓延しています。
これは大変嘆かわしいことです。
このままでは、葬式仏教の謗りを免れることはできませんよ。
下手に邪道の師についたら、地獄落ちに後押しがつきますし(笑い)

今の曹洞宗のあり方について、ざげんさんの忌憚の無い意見をお聞かせ下さい。

10 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/20(金) 23:51
どうして福岡は臨済系が多いのですか。

11 :大きなお世話:2001/07/20(金) 23:54

小浜の発心寺

原田雪渓なんかどうでしょう。

12 ::2001/07/21(土) 00:00
>>10
鎌倉時代の禅僧である聖一国師(円爾弁円)の影響では?
東福寺派のお寺が、多数見受けられますし(他に大徳寺派や妙心寺派も多いですね。)

13 :大きなお世話:2001/07/21(土) 00:03

臨済宗の師家は

山田無文や盛永宗興は遷化されたし。

誰がよいのかしら。

平田精耕はまだ生きているかも

嵐山の天竜寺です。

14 ::2001/07/21(土) 00:06
>>11
>小浜の発心寺
原田雪渓なんかどうでしょう。

この方はネットでも評判がいいですね。
発心寺のページが休止中で、詳しい情報が得られず残念です。

15 :大きなお世話:2001/07/21(土) 00:08

少林窟道場

http://www.h3.dion.ne.jp/~zazen/

16 ::2001/07/21(土) 00:13
>>15
このページは自分もよく拝見しますよ。

飯田老師の禅風には惹かれるものがあります。

原田祖岳老師と並び称される、希代の名僧ですね。

17 ::2001/07/21(土) 00:16
>>13
大きなお世話さんは京都にお住まいなんですか?

18 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/21(土) 00:25
聖福寺があるからでしょうか。

19 ::2001/07/21(土) 00:32
おそらくそうでしょう。
聖一国師は謝国明と並んで、博多っこにはポピュラーな存在では?

20 :大きなお世話:2001/07/21(土) 00:40

道元様が言っておられます。

正師にあらずんば学ばざるにしかず。と

だから、正師を求めて雲水も行脚するのです。当然です。

本当に悟ったお師家さんのおられる禅寺を教えて下さい。 という疑問は
当然で重要なこととおもいます。

私は京都在住ではありません。

21 ::2001/07/21(土) 00:53
>>20
このスレッドの主旨に賛同していただき有り難うございます。

>正師にあらずんば学ばざるにしかず。と
だから、正師を求めて雲水も行脚するのです。当然です。

今の世に正師を見つけるなんて、白昼に北斗を探すようなものなのでしょうか・・・
大丈夫と生まれたからには、一大事因縁を明らめたいものです。

22 :通行人さん:2001/07/21(土) 02:19
天竜の老師は評判悪いだろ

23 :ざげん:2001/07/21(土) 04:55
>>9

>しかし、そのような風潮が今の曹洞宗における無事禅的な体質を生み出しているのでは?
>悟らずとも良い、という安逸な考えが今の曹洞宗に蔓延しています。
>これは大変嘆かわしいことです。
>このままでは、葬式仏教の謗りを免れることはできませんよ。
>下手に邪道の師についたら、地獄落ちに後押しがつきますし(笑い)
>今の曹洞宗のあり方について、ざげんさんの忌憚の無い意見をお聞かせ下さい

永平元禅師語録に
「…釈迦老子道く、「明星現ずる時、我と大地衆生と同時に成道す」と。且く
道え、作麼生がこれ成ずる底の道。もし人会得せば、釈迦老子慙愧を著くるに
処なけん。…」という記述がみられます。
「もし釈迦が”明星があらわれると共に、自分もその他のあらゆる命を持つも
のは等しく悟りを得た”などと言ったとする。もしそれが本当であるとすれば
どうであろう。誰もがそれを会得したとするならば、彼(釈迦)の悟りが誤り
であると誰もが気がつき、釈迦は恥じ入るしかないだろう」云々といったとこ
ろでしょうか。
「本当に悟った」という言葉は、もしそれが本当であるなら、けして口にでき
ない言葉であるし。悟った本人が明かすことができないものを、どうして他人
が「これは良い豆である。これは悪い豆である」等々と選別する事ができるで
しょう。正師であるか否かは後になってかろうじて判るかどうか、といったも
のであり、結局は判らないのかも知れません。

私自身としては「今の曹洞宗のあり方」について殆ど関心がありませんし、特
に言うべきと思う言葉もありません。人々が宗門に求めているのが「葬式仏教」
であるなら、それはそれで結構です。または何か「格安”悟り”パック」みた
いなものを求めて来る人がいるなら、それ相手に商売するのも良いでしょう。
もし、それが本当に「その時、その場でやらなければならない事」であるなら、
それをやるべきですし、そうでなければやらなければ良いだけの事です

24 :1:2001/07/21(土) 07:35
>>23
そうまで言ってもらえるとかえって痛快ですね。
話題は転じますが、
ざげんさんはいずれかの禅寺に参じられた事がお有りですかな?

25 :匿名:2001/07/21(土) 08:13
大きなお世話さん>
平田某師はダメです。大体結婚しているのはともかくも、その息子を自分ちの目の前の
の僧堂に掛塔させた上、法嗣である僧堂老師に「うちの息子にはきびしくせんように」
等とのたまわった上、たった一年やそこらで暫暇させたんですからどうしようもありません。

今油の乗っている活きの良い老師は、妙心僧堂の雪丸老師か無文さんの法嗣の霊雲院
則竹老師が良いでしょう。
また南禅僧堂の老師さんもお若いですが枯淡な良い老師です。
あと直接面識はありませんが、野火止平林寺の老師などの評判も良いですよ。

ただ無文老師や盛永老師のように学問も出来て、しかも禅境も素晴らしいと言う方は、
今の時点では見当たらないですね。

26 ::2001/07/21(土) 08:49
匿名さん情報提供有り難うございます。

27 :ざげん:2001/07/21(土) 12:27
>>24

曹洞宗の寺の息子です。

28 :大きなお世話:2001/07/21(土) 19:47

野火止の平林寺は昔よく散歩しました。

裏手の丘を回って一周すると誠に良い散歩コースでした。

29 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/27(金) 12:57
>>ざげん 様へ
私は曹洞宗の末寺の檀徒です
人々が宗門(寺)に「葬式仏教」以上を求めても無駄だから諦めているのです
このあいだも法要について坊主が、亡くなったひとを成仏させるために行うのだ
などとほざいたので文句を言ったら、寺の方針に賛同されないのなら出ていっ
てくださいて言いやがった

30 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/27(金) 23:51
そもそも
法要は何のためにするのか、追善の意味はなど教えてもらえられないのかな?
曹洞宗のホームページを見たけど法要のやりかたは説明してるけど
それがどういう意味を持ってるかの説明は全く無かった

31 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/28(土) 01:50
法要はもともと中国からの発想は区切り区切りであの世で裁きを
受けるのでそのときに法要という善行を積んで良い裁きを受けられる
ようにというものです。
後から追っかけで善行を積むというわけです。
もちろん死者のためであり遺族のためである。
そうやってだんだん死者の個性がなくなっていって仏様と一体となる。
葬式をして成仏するということは予定としてありますがまだ確定ではない
だんだんと成仏していくという考えもあるでしょう。

32 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/28(土) 10:13
29 ですが
>>31
ということは私みたいな罰当たりが死者のために善を追加することは
できないので法要は無駄ということか?
さらにやる気の無い坊主がその法要で経をを読んだら閻魔様は
死者を地獄に落とすんでしょうね

33 :ざげん:2001/07/28(土) 13:29
追善についていえば「誰々には追善する資格がない」とか「今さら
手遅れ」などという事はありません。廣大の慈門は常に開かれてい
るのです。
極楽と地獄については、よくわかりません。私自身は、もしあの世
というものがあるのなら、それはこの世とあまり変わりの無い平淡
な世界ではないかと思っています。国会があって選挙なんかもやっ
てるかも知れませんよ。

34 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/28(土) 20:38
>>「今さら手遅れ」などという事はありません
でも家の菩提寺の大黒は「1回しかない百ケ日ですから、後で後悔
しないよう法要をやった方が良いですよ」って脅かすの

>>後から追っかけで善行を積むというわけです。
>>もちろん死者のためであり遺族のためである。
この死者のためというのが良く分からん、百歩譲って
死者のためにやるとしたら、貧乏で法要ができない所の
死者は成仏できないのか?

35 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/29(日) 01:27
死者のため=遺族が仏教を信仰する=仏教が広まる=世の中の悩みを救う=
みんなが安心する=死者も安心する

法要ができないところの死者は成仏できないのか?
それは知らん。というか法事できなくてもだいたい塔婆ぐらいはあげるな
塔婆も一応経読んで拝んであるからまったく供養してないということには
ならないと思う

36 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/29(日) 10:22
>>死者のため=遺族が仏教を信仰する=仏教が広まる=世の中の悩みを救う=
>>みんなが安心する=死者も安心する
なるほど!「風が吹くと桶屋が儲かる」的論理の飛躍だけど最後の所は
飛躍どころじゃないね

>>それは知らん。
追善を行うと死者が成仏することは「知ってる」っていうのかな?

37 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/29(日) 11:38
禅禅スレッドにそぐわない話になってきたな。
土台、迷いも安心も自分自身の中にあるんだろうに。
お経読んだからって、死者が極楽行く訳じゃないし、
読まなかったからと言ってバケて出る訳でもない。
じゃ〜、何の為に追善供養を行うのか?をハッキリ答えられる寺が
まともな禅寺でしょう。

38 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/30(月) 01:27
住職の世襲が定着しつつある昨今、悟った坊さんは
少ないと思う。修行の出発点がいかがわしいからね。
ただ、まれにいるよ。某禅寺で一年間修行したけど。
どう悟ってるかは言葉にできないけど、なんと言うか
オーラってやつかな?ちなみに俺は娑婆に来て速攻で
女抱きました。南無。

39 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/30(月) 12:13
花園大学前学長河野太通を忘れるな!!

40 :学生:2001/07/31(火) 00:40
だろね。

41 :ななし:2001/07/31(火) 01:11
<強迫性人格障害の診断基準>
アメリカ精神医学界 DMS-IV
秩序、完全主義、精神面および対人関係の統制にとらわれ、柔軟性、開放性、効率性が犠牲にされる。 成人早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち4つ(またはそれ以上)で示される。

1.活動の主要点が見失われるまでに、細目、規制、一覧表、順序、構成、予定表にしばられる。
2.課題の達成を妨げるような完全主義を示す。
(例:自分自身の過度に厳密な基準が満たされない という理由で1つの計画を完成させることができない。)
3.娯楽や友人関係を犠牲にしてまで仕事と生産性に過剰にのめりこむ。
(明白な経済的必要性はない。)
4.道徳、倫理、価値観についての事柄に、過度に誠実で良心的かつ融通がきかない。
5.感傷的な意味のない物の場合でも、使い古した、または価値のないものを捨てることができない。
6.他人が自分のやるやり方に従わない限り、仕事をまかせることができない。また一緒に仕事をすることができない。
7.自分のためにも他人のためにも、ケチなお金の使い方をする。お金は将来の破局に備えて貯めるべきだという歪んだ信念を持っている。
8.堅さと頑固さを示す。

42 :名無しさん@京都板じゃないよ:2001/07/31(火) 08:54
>>39
管長狙って任期半ばで学長辞めるなっつうの!そこが俗人よ。

43 :名無しさん@京都板じゃないよ:01/11/17 06:08
>>30
法要のうち、読経について。
読経そのものは、直に死者の追善にはならない。
読経の功徳は、読経した人の功徳。
お菓子や果物などをお供えする様に、
実践の姿、実践の功徳をお供えすることで、
亡くなった方に対する追善となる。

44 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/05/25 06:56
犬山の瑞泉僧堂の玄々庵老師も悪くないよ。
ただし、僧堂は伝統的に“いまいち”どころか“いまに”なんだが…

45 : :02/06/12 15:24
マジレス。
雪渓さんか雪担さんのとこ逝け。


46 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/12 20:17
小浜市 発心寺 原田雪渓老師

 口先だけの人。実際に参禅した修行者からは驚く程評判悪いです。何も分からない外国人だけが有り難がっている模様。それを見て周りが「あの人は凄い」と勘違いしている。
 私も体験しましたが、形だけの修行です。発心寺での生活はいかにも「禅ぽい」のですが、雪渓老師ご自身が見性(悟り)を得られていないので(ご自分でも言われていたそうです)、空疎なものでした。
 実は、雪渓老師の師匠である原田祖岳老師は、雪渓老師の事は最後まで法嗣として認めておられませんでした。雪渓老師自身も、祖岳老師の禅に対して否定的です。
 内部でのトラブルも色々聞いているので、あまり純粋な道場とは思わない方がよいでしょう。
 保証します。

小浜市 佛国寺 原田湛玄老師

 同じく原田祖岳老師の法嗣の一人ですが、同じ市内にあり距離的にも近い発心寺や原田雪渓老師とは犬猿の仲、というかほぼ断絶してます。
 原田湛玄老師を慕って多くの(私が居た頃は20人前後)の人たちが生活していますが、はっきり言ってだらしない寺。人数は多すぎるほどいるのに、掃除が行き届かず汚い庫裏、落ち葉と雑草だらけの墓地。弛緩して淀んだ空気、やる気も覇気も無い死んだような修行僧たち。
 ここでも純粋で何もわからない外国人の修行者が頑張っていますが、少し可哀想でした。小乗仏教的で、社会に背を向けて内側に閉じこもった人々のシェルターになっています。一度足を運べば誰でもその異様さに気付くと思います。
 このお寺で、「悟れなかったら功徳を積めば来世で悟れる」などという、禅にあるまじき教えを聞き、ショックを受けました。
 禅には、「今・ここ」しか無いはず。最初から修行をあきらめて、「私、来世で悟るの」という人までいるのには呆れました。それじゃ禅でも何でもないと思うのですが...

少林窟 井上希道老師

 パフォーマンスだけの人。間違いなくにせもの。独り善がりで勝手な「野狐禅」。この方だけには気を付けた方がいいです。取り巻きの信者や居士・大姉たちも「勘違い」な方ばかりで閉口しました。もろにカルト的な感じです。
 「私は少林窟で悟った!」という体験記を集めた「参禅記」などが多く出されていますが、全部勝手な思い込みや自分勝手な「解釈」に過ぎないという印象を受けました。
 それを放置するだけでなく、出版までしてしまう厚顔無恥な老師のやり方にも疑問。この方も自己顕示欲が恐ろしく強い方で、真の禅僧とはいえないと思います。
 東京でも坐禅会を開かれてますが、私の知人たちは「二度と行かない」と怒っていました。

では、「まともな禅寺」はどこかって?
今考えてます。またレスします。

47 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/12 20:35
>>46
同感です。私も少林窟で参禅の経験があるが、まさに「井上カルト」という感じであった。
ところで、あなたはどれくらい前に参禅されたのですか?

少林窟道場の飯田老師は臨済禅と曹洞禅の両方を修行された素晴らしい方であったが、現在の老師(井上老師)の教えは飯田老師とは全く異なるように感じた。
井上老師は、飯田老師や大智老尼の教えを受け継いだとは思えない。井上さんの法話の内容と、飯田老師や大智老尼の言われていた事が全然違う。大智老尼は、生前から井上老師の「思い上がり」や「傲慢さ」を心配されていたと聞く。
井上さんは、少林窟でしか修行していないから見方が狭く、理屈が多い。臨済宗や曹洞宗の他の老師をボロクソにけなすが、聞いていて幻滅した。本当に悟った方ならあんな事は言うまい。

さて、どこかにまともな寺はないものか...

48 :46:02/06/12 20:47
>>47
それは言えません。関係者に絶対バレてしまうので(W
あの老師は自己宣伝と自慢話と他の寺の悪口ばかりなので、がっかりでした。
純粋な禅僧というよりも、ただの世間知らずの俗人という感じです。

それに比べたら、佛国寺の老師は禅僧ぽかったです。
ちなみに発心寺の老師も、俗人のおれから見ても「俗!」な感じです。
日本人だけでなく外国人の修行者の中にも「騙された!」と怒って出て行く人が何人もいました。雪渓老師は、そういう人の事を悪く言うのです。
悟った禅僧なら(というか責任感とか常識があれば)そんな事は口からで出ないのではないかと...
外から見るのと中で修行するのでは大違いなんです。


49 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/06/12 20:54
25>>

>今油の乗っている活きの良い老師は、妙心僧堂の雪丸老師か無文さんの法嗣の霊雲院
>則竹老師が良いでしょう。

霊雲院って、あの「恐い尼僧さん」がいるお寺ですよね?
則竹老師の弟子を何人も追い出したと聞いているのですが、本当ですか?

50 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/06/12 21:44
私見ですが...

曹洞宗
・厭世的で自己満足的。小乗仏教的というか...
・純粋な人(老師、修行者)ほど、社会に背を向けて寺に引きこもる傾向があり、そのくせ大した修行はしていないが、自惚れが強い。
・「修行=悟り」と勘違いしているから、「私は悟った」と自ら宣言する修行者が多いのも曹洞宗の悪いところ。ただヌボーッと坐禅しているだけが悟りなものか!

その点、飯田トウイン(字わからん)老師や原田祖岳老師はすごい方だと思う。

51 :匿名:02/06/13 12:44
>>49
アハハ・…、確かに小僧さん達にとっては怖いというか、口うるさい尼僧さんでしょうね。
まぁ、あの方も最近は随分と年を取られたからか、温厚になられたようですが、
想像ですが、以前はご自分が僧堂に行っていない為か(尼僧堂が閉単してましたからね)
必要以上に自分にも他人にも厳しくして、肩肘張ったところがあったように感じます。
霊雲の小僧辞めて、他のお寺の小僧成った人も知ってますが、結局その人はそこも辞めて
還俗してしまいました。
私も小僧経験があるので解りますが、結局イヤに成って逃げ出すのは自分次第ですよ。

52 :49:02/06/13 14:07
>>51
マジレス有難うございます。
そこに弟子入りするつもりはありませんが、その尼僧さんについては
色々と凄まじい噂を聞いてびびっておりました(W
禅寺ってどこでもそんなものなのかな、と思って。
続くかどうかは、たしかに、自分次第ですよね。

53 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/13 14:12
>>52
凄まじい噂?・・・(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

当方在家女ですが、ちょと教えを乞うてみたいような気がしてきた。
独り言なのでsage

54 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/13 17:26
>>51
>>52
いや、あの尼さんはかなりデムパ入ってるよ。マジで。
「凄まじい噂」どころか、耳を疑いたくなるような凄まじい実話が山程ある。
>>53
知らない方が良いよ。きっと後悔する。
という訳でsage

55 :T.T:02/06/13 22:42
あの映画ファンシーダンスで有名な金沢の大乗寺に四泊五日
で参禅に行ってきました。映画に出てくるのと同じような人
が本当に居たのには驚きました。でも決して緩いとか乱れて
いるとかいうわけではなく、初心者の私にとっては素晴らし
い経験でした。お寺の様子、師匠の個性は色々あると思いま
すが、結局は自分の心掛け次第なのかなと思いました。やは
りどこも一長一短で、本物の師匠、真の禅寺を今見つけるこ
とは難しいのではないかと思います。

56 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/14 06:52
>>55
金沢の大乗寺はかなり緩いし乱れていますよ
あなたが初心者だから、そこまでわからなかっただけです
もし本当に出家してあそこで修行を始めたら、相当失望したことと思います
私も在家でしたが、内部事情を色々知ってから物凄く後悔しました
曹洞宗の道場はどこも緩いし乱れています
確かにお寺にも個性があり一長一短だと思うので、一概に否定はできませんが
良い師匠を見つけるのは大変ですね

出家して修行するなら、臨済宗の方がもうちょっとまともなんじゃないですか?

57 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/06/19 21:48
age

58 :寿能町の隣は盆栽町:02/06/29 15:31
末法の現在、禅宗等の釈迦仏教を信仰しても成仏はできません。
釈迦仏教で成仏できるのは、釈尊(釈迦)滅後千年までの正法に、
日本、中国、インドの3国に生まれた人のみです。
尚、禅宗で信仰しても、成仏するまでは、
約1億回生まれ変わらなければ成仏は叶いません。

末法の現在では、御本尊様を信じて御題目を唱える以外、
成仏の法はありません。
末法では、三大秘法の法華経こそが、唯一の成仏の法です。



59 :やっぱ洗脳、カルトだわな!:02/06/29 17:20
ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    
        ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    
ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    ナンミョーホーレンソー    

60 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/01 20:37
横浜、横須賀あたりで、禅を
ちゃんと教えてくれる所を、知っていたら
教えてクレー。

61 :名無し@DQN:02/07/01 20:44
京都の相国寺は、月2回一般向き座禅会をしてるようだけど、評判はどうなんざましょ?

62 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/01 21:07
東京仏光山寺とかもおもろいかもよ。

63 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/01 21:24
>>60
鎌倉円覚寺の居士林なんかいかがでしょう。
かなり本格的に座禅できますよ〜

64 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/01 22:24
>>60
>>63
神奈川では、やはり円覚寺かな。一度行ってみたら?
>>61
相国寺僧堂の老師さんは、とても厳しくて、真面目で正直な方で、評判が良い。
でも一般向けの坐禅会は誰が指導するのか知らないので、いいか悪いか不明。
大本山相国寺自体は、有馬管長の評判が無茶苦茶悪い。

ちなみに皆さん、「座禅」というのは間違ってます。
マスコミなどが間違って広めたために一般化してますが、
禅宗では「坐禅」と書きます。「座禅」と書く僧侶はいないはずです。

「座」という字は「坐る場所」という意味合いが強く、
「坐」という字は「坐る」という行為そのものを指します。

65 :名無し@DQN:02/07/01 23:03
>64さん
「坐禅」でしたね。ご教示有難うございます。

>大本山相国寺自体は、有馬管長の評判が無茶苦茶悪い。
えっ、どうしてですか?

それから、お寺さんに特に縁故の無い一般人が、相国寺の老師さんなどとお話できるようになるには
どうしたらいいのでしょうか?
それに「老師」と「管長」の区別が分らない。すみませんです。


66 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 07:50
>65
有馬管長はあの悪評高い(W)京都仏教会の会長さんだからです。
詳しくは関係スレッドを参照して下さい。
このスレの書き込みには一般の方からの事実無根の誹謗中傷も含まれていますが
実際京都の他の禅宗本山からは、京都仏教会の活動はひんしゅくを買っています。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/965823817/40-

さて、「老師」というのは、僧堂(修行道場)で10〜20年ほど修行されて、その僧堂の指導者である「師家(しけ)」と呼ばれる方から仏法を伝授された禅僧のことです。
勿論、僧堂の「師家」になれるのは老師になることが許された僧侶のみです。
全ての老師が僧堂師家をされる訳ではありませんが、「師家寺」と呼ばれる格式の高いお寺の住職をされることが多いです。
ちなみに、他の宗派にあるような「僧階(いわゆる階級)」とは違い、誰でもなれるものではありません。

本山の「管長」は、簡単に言えば本山全般および末寺(本山に所属する寺院)を「管理」する職です。通常、僧堂師家を経験された老師が任命されます。

ちなみに有馬管長は老師ではなく、僧堂の師家も経験されておらず、妻帯されています。これはきわめて異例な事態です。

ところで、一般の方が相国寺の老師さんなどとお話する方法、という事ですが、
僧堂師家であれば、「このお師家さんのお話が聴きたい!」という方を探し、その
僧堂、もしくは僧堂が所属する本山に直接電話やメールで問い合わせ、一般の方向
けの坐禅会や法話会、講演会などの予定などについて確認するのが良いでしょう。

お師家さんは僧堂の雲水(修行僧)の指導で忙しいので、一般の方々が接する機会はどうしても限られます。しかし、お話を聴く価値はあると思いますよ。

お話を聴いて感激し、その老師の下で坐禅や参禅をしたくなったら、直接僧堂に行くか問い合わせてみてください。
本山の僧堂などでも、居士(こじ:在家男性の修行者)や大姉(だいし:在家女性の修行者)も坐禅や参禅ができます。在家の方でも、お師家さんに惚れ込んで5年、10年と僧堂で坐禅される方もおられますよ。
ただし、普通のお寺の坐禅会などとは違い、かなりの覚悟が必要ですが...

こんな説明でご理解頂けたでしょうか?

67 :64&66:02/07/02 07:58
>>65
ちなみに京都の老師さんでは、相国寺の本山僧堂師家の田中老師が良いと思います
純粋で、誠実な素晴らしい老師です。
居士・大姉の方々も沢山坐禅されていますよ。
居士・大姉を敬遠される老師もおられますが、相国寺僧堂の老師はとても大切にされます。

68 :山僧:02/07/02 08:16
曹洞宗なら・・・有名なとことか探すより、
地元や田舎の方の尼寺を探した方がいいと思います

昔は尼さんたちは不遇で、それでも頑張って参られたんですから、
悟り云々よりももっと大事なことを教えてくれます。
年老いた庵主さんで悪い人はいませんよ。

と、今までの経験で言ってみました。
坐禅だけでなく、その人の人間性に触れることで、自分も大きくなれますよ。

69 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 09:28
「年老いた庵主さんで悪い人はいません」というのは、一種の「偏見」ではないでしょうか?
尼僧さんだからといって過剰に神聖視して美化するのはどうかと思います。

不遇で苦労した故に人格が歪んでしまい、
そういう方のところへ弟子入りして酷い目に遭った女性を何人か知っています。

私が過去におつき合いした経験で言わせてもらいますが、
尼僧さんだって「人間」ですよ。
普通の人と同じで、良い人もいれば悪い人もいます。

個人的には仲の良い庵主さんのところによく遊びに行くし、
小さい頃から尼僧さんが大好きなんですけど...

でも、68さんの言われる通り「田舎の尼寺」ならば、たしかに穏やかでいい方が多いかもしれませんね。

70 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 09:30
>>60
各宗派の本山は、どこもそれぞれ一般向けの坐禅会を開催していますので、
気軽に一度行ってみるのがいいでしょう。
神奈川ならば、ガイシュツのように円覚寺や建長寺が有名です。
でも「禅を教えてくれるところ」なんて何処にもないんですよ。
それは自分で見つけるものでしょう。

極端に言えば、参禅するのでないならば、別にどこ行ったって変りませんから、
近いところでいいんじゃないですか。それもご縁というものでしょう。

>>67
へ〜、そうなんだ。
私は金地院に居られた時しか知らないですが、なんか神経質そうな印象だったですね。
たしか長岡禅塾のお師家さんとご兄弟とか?

71 :チーン:02/07/02 10:56
>>69不遇で苦労した故に人格が歪んでしまい
ええーーーーーーーーーーーーーーー!
仏道に入っても、ノムラサッチーさんばりの方は、死ぬまでノムラサッチー的生き方を・・・

そもそも、なんで仏門に入ったのか    と小1時間、問い詰めてみたい。

72 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 19:12
黄檗のお経っておもろくていいよ。

73 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 19:30
黄檗はかつて鬼僧堂の異名を誇ったが……。

74 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 19:35
なむさまとーむとなんふぁん


75 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 19:56
もほ ぽぜぽろみ〜

あ〜〜ん さ〜も〜ら〜〜さ〜も〜ら〜〜
み〜も〜な〜〜ん さ〜か〜らも〜ほ〜 さ〜か〜らほ〜〜ん

真言・天台とかと比べて、もとのサンスクリットとは随分遠のく点がちょっとね。

76 :名無し@DQN:02/07/02 21:01
>65です。
ご教示有難うございました。
相国寺は近いのと、私の好きな画家・伊藤若沖の菩提寺?(だったと思う)なんで、
今度訪ねて見ませう。

77 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 21:40
静岡の方廣寺はいいぞ。

78 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 21:45
おれ有馬さんと食事したけど、何か。

79 :67:02/07/02 22:19
>>70
>へ〜、そうなんだ。
私は金地院に居られた時しか知らないですが、なんか神経質そうな印象だったですね。
たしか長岡禅塾のお師家さんとご兄弟とか?

確かに固そうな感じの方で一見神経質そうですね(W
でも、外見は優しそうでも実際には腹黒くて、善人に見えても実は裏表があるようなよくいるタイプの高僧とは正反対、という意味で非常に素直で純粋な方です。
まあ、好き嫌いはあるかもしれませんね。真面目過ぎる方だから...
真面目故に、修行に関してはとても厳しいですが、一人ひとりの雲水に対して心から親身になって思い遣る優しい心をお持ちです。

>>76
良いご縁があることを心よりお祈りしております。

>>73
そういえば黄檗宗の萬福寺僧堂って、どんな感じなのでしょうか?

80 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/02 23:03
今年の萬福僧堂は雲水多いなぁ。
ここは昔から厳しいことでは有名ですが、いまは、まぁ、そのぉ……、
とりあえず、ここで悟ろうなんてこと誰も考えてないでしょうな。
いや、師家がどうとかいうことじゃなくてですよ。
志有る者はみんな臨済詣でしてから資格とる為に戻ってきます。
あるいは一年だけ居て資格穫ってから臨済で武者修行。
あと、梵唄が複雑すぎる。禅宗だったらもっとシンプルでいいのにさ。
先輩から殴られるときは、たいてい梵唄の失敗で ってことが多いとか。
老師になるのも、臨済と比べ物にならないほど○○です。
昔から、貢献度の高い人とかに対して情で印可を出してたらしいのよねぇ、
と『黄檗文華』という黄檗宗が出してる学術雑誌で誰かが書いてたような。
いまも変わらないぞ。  な〜んて言ってみたりする。
あと、宗制なども含めて臨済との違いを出したがってるけど、
室内の内容は白隠の児孫を自認していて、たしかに内容は同じ。
隱山系だと思う。
尤も、内容や、まして裏の実体がどうとかより、修行は自己の問題。
まっ、フィーリングが合う合わないってことは有るでしょうから、
そういうときは「縁称(かな)わざれば則ち袖を払って去る」って
のが一番でしょう。でも、僧堂ゴロツキにならないように注意せんと。

81 :79:02/07/03 06:53
>>80
ほうほう、そんな感じですか。
しかし、「貢献度の高い人とかに対して情で印可を出してた」とは...!!!

ところで「僧堂ゴロ」、たまにいますね。
昔風に言えば「雲水バカ」ってやつでしょうか?

82 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/03 07:01
>>79
なるほど、ではあなたもフレンド通った口ですね。(^.^)

83 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/03 07:33
>>76
確かに若冲は、相国寺と縁が深いです。
若冲という雅号さえ、大典顕常禅師が付けたと思われます。
やはり彼と親交のあった、売茶翁と呼ばれた黄檗僧が、当時相国の塔頭に
住んでいて、大典が「大盈は沖しきが若きも其の用は窮まらず」という
老子の一文を書いた注子という煎茶器を持っていました。
で、相国寺関係には若冲の作品が沢山あります。
ただ、若冲の菩提寺は黄檗宗の深草にある石峯寺です。
そこには若冲のお墓や、五百羅漢があります。

尚、黄檗宗というのは、明治九年にはじめて出来た宗派で、それまでは我が国でも
臨済宗を名乗っていたのは周知の事実です。


84 :名無し@DQN:02/07/03 08:36
>83さん
 あっ、そうでしたか。ありがとうございました。
でも、相国寺の若冲コレクションマジ凄いと思います。

85 :60です。:02/07/03 16:19
60です。いろいろおしえていただいて、
ありがとう。さっそく行ってみます。

86 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/03 17:06
臨済宗黄檗派って事っすね。

87 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/03 19:52
実際、そう自称していた時期も有ります。そして臨済正宗ですね。
黄檗宗には、志の高い和尚もおられますよ。

88 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/03 22:56
目黒の五百羅漢寺が、宗旨変えしてしまったのが、惜しまれてならない。

89 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/03 22:59
宗旨換えたっていいんじゃない?
私は現在の日本仏教が振るわないのは宗派性が強すぎる
って点に見ているんです。みんな単立になれば、もっと
よくなるよ。ダメな坊さんは淘汰されるだろうね。

90 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/04 08:09
>>87
言っとくけど「臨済正宗」っていうのは、「臨済宗」に対する「臨済正宗」じゃないよ。
「正しい釈尊の法である」の意で「臨済正宗」な訳ですから。
だから臨済宗の僧侶は、墨蹟の關防印には良く「臨済正宗」と押している訳です。
あなたは、隠元の墨蹟を見て「臨済正宗」と思ったのでしょうが、勘違いなさらない様に。
私も、念仏も坐禅も一つのものであると思っていますが、日本黄檗宗(他にはないからね)
の法こそが、臨済宗の法よりも正しい臨済の宗旨であるとなると、それはやはり問題あるでしょう。
大体、黄檗宗の黄檗は、黄檗希運禅師の黄檗じゃなくて、宇治の萬福寺の山号を呼称したに
過ぎませんから、そこも勘違いされる方多いです。
無知な和尚は五家七宗に黄檗宗数えてみたりね。

ところで個人的に残念なのは、前の黄檗の管長さんて、駒大出身なんですよね。
で、学生時代「黄檗はなぜ禅宗なのに念仏唱えるのだ」と自己矛盾に陥ってたらしいのですが、
当時教授であった、澤木興道老師に「唱えるも良し、唱えぬも良し」と言われて、
「目からうろこが落ちた」みたいな話をTVでされていました。
それはそれで良い話ではありますが、当時は山本玄峰老師、山田無文老師、朝比奈宗源老師、柴山全慶老師、
後藤瑞巌老師など、今とは違い昭和初期の名だたる禅匠が居られた時代です。
何処でご修行なされたのかは知りませんが、もう少し老師らしい修行時代の逸話が
聞きたかったのに、学生時代のそれだけだった印象があります。

91 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/04 18:40
字から見て、今の心が仏になれば念佛するのもいいのでは。

92 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/04 21:43
>>91
なるほどね。
まぁ、要は対象と一つになる体験が得られればいいのでしょう。
親鸞上人は、「出る息吸う息、皆念仏」と仰られていたような…。


93 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/05 01:21
私の夫は曹洞宗のお坊さんです。
私から見て夫は宗教者としてとてもすばらしいと思います。
こんな事人前ではいえないし言うつもりもありませんが・・・

地方の小さな寺です。
在家の、仏壇すらない核家族の出なので
仏教のことよくわかりません。(勉強中です)
でも主人は私の思い描くお坊さんそのものです。
まともな禅寺?の趣旨にそぐわなかったかも・・sageときます

94 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/05 05:37
遊び場に遠いところに家族と住んでる、坊さんは、一生懸命な人多いかも。


95 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/05 07:26
別に住んでる場所とか、在家からラゴか、妻帯しているか否か、男か女か、
若いか年配か、な〜んて関係ないでしょ。
結局はその人しだい。
少なくとも禅宗坊主なら、戒律に囚われるのではなくて、いつも自性霊妙にして
戒律を自由自在に使い切ることが肝要な筈。それが達磨の一心戒。

96 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/05 19:49
>>95
その通り。確かに、本人の心次第ですね。
私は在家ですが、寺院出身の住職の中にも
尊敬できる素晴らしい方が沢山おられます。


97 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/08 07:51
まともだとか、すばらしいか、といったのを決めるのも、
自分のスタンスと合う合わないという面が大きいですよね。
そのときの心境とも関係しますし、なかなか一概に言えないですね。

98 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/08 08:53
性格的に多少問題があっても、見解がしっかりしてれば師事すべきだ、
というのを読んだことがある。
つまり正師というのはそれほど遇い難いと。

99 :山僧:02/07/08 08:57
修章義の5章「行持報恩」の中に、師を探すには

種称を考うることなかれ 容顔を見ることなかれ 
非を嫌うことなかれ 行いを考うることなかれ

とあります。まったくこの通りだと思います
(文章違ってるかも)

100 :無しさん@京都板じゃないよ:02/07/08 16:23

妙心寺では各僧堂師家の書をプリント
したカレンダーを売っています。
(他宗にもありますが)

見性の有無は感じられないまでも
これはと思うお師家さんは確かに
いらっしゃいますね。


101 :無しさん@京都板じゃないよ:02/07/09 00:26
下士は徳につく(志の低い修行者は優しく徳のある師に参ずる)
中士は勢いにつく(志が中程度の修行者は最も評判が良い師に参ずる)
上士は仇につく(志が高い修行者は最も悪辣で厳しい師に参ずる)

禅宗ではこんな言葉があるが(うろ憶えなので間違っていたらスマソ)
みなさんが書き込まれてる事と共通しますね。

102 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/09 00:32
>>101
全然関係ないことですが、貴方のカキコを見て
今の今まで迷っていたことでハッと気づくことがありました。
感謝。

103 :無しさん@京都板じゃないよ:02/07/09 00:36
>>101

それにあてはまらない師が多いような。
でも言いえて妙。納得。

104 :101 :02/07/09 12:08
>>102
事情はよくわからないけど、頑張ってくださいね。
私もこの言葉を聞いた時にとても衝撃を受けました。
世の中の色々な事にも通じますよね。

105 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/10 14:41
禅の何がいいの?
とマジで問うてみる。

106 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/10 14:46
>105
天台小止観に止観の効用が書かれてるから読んで味噌。

107 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/10 15:04
>105
天台宗の止観というのは、禅宗でいう本来の「禅」とは違うので注意。
ねえ、誰かわかりやすく説明してあげて!
おれ文章ヘタだから苦手。
逝ってきます。

108 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/10 20:57
止観は、無でなく、禅は無になる。

109 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/10 22:02
止観は、無をイメージする
禅は、無そのものになる
こんな感じか。

110 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/10 22:08
わたし部外者なのですが
止観の「止」と「禅」も違うのですか?

違うのだったら、めんどくさいかもしれませんが、教えてくらはい
おながいします

111 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/11 00:36
単立寺院て財産処分が簡単にできるようになるって聞いたけど?
そんなとこに布施して大丈夫なのか不安
住職解任する手段って無いの?

112 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/11 00:51
止と禅は、違います。止観は瞑想に近いかな?

113 :105:02/07/11 01:01
止はサマタ、観はビバシャナ。瞑想に近いのは観の方でしょう。
天台止観はテクニック、禅はテクニックじゃないでしょうね。
8世紀の中国でも、天台止観派と達摩禅とでせめぎ合いが
有りましたね。東山法門もテクにはしってる。まぁ、それはいい。
禅はいいけど、禅宗の何がいいの?問い方を換えてマジで問いたい。
105は掛搭してない(敢えてしない)禅僧です。

114 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/11 01:46
>>113

お庭とか茶室とか禅問答なんでないの。

色々文化的応用がきくってゆうか。

あと神道と相性がいいのかな。
大疑団もユニーク。



115 :105:02/07/11 02:16
なんじゃ、そんな程度の「良さ」なのか???
「心が落ち着く」とかの程度でもいいけど、
それ以上に、私は本来の自己に目覚めさせてくれるのが
よいところだとは思う。しかし、それだけの力量が有る
人ってのは、そうとうやりこんだ人でしょ。この際、
葬式專門僧は除外して、普通は自分では自己を陶冶できても、
機根に合わせて臨機応変に複雑な悩みを抱える人々を導くのは
至難の業だと思う。
いま、「ツライ、苦しい、痛い、死にそう」という人に、
「まぁ、坐れ」では役に立たないのでは?
宗派にこだわって、うちは禅寺だから祈祷はやらんとかじゃ、
人なんて救えないのでは?
逆に真言・天台の祈祷寺院が坐禅やらないのも、どうかと思う。
世襲制と宗派性こそが(檀家制以上に)今の仏教をダメにして
いると思うのです。御意見を請います。

116 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/11 05:51
>>115

>いま、「ツライ、苦しい、痛い、死にそう」という人

というのは、坐禅でなにがしかの見性を得た人の聡明な言葉に
すがりたくなるものだと思う。
自己を陶冶できただけという人であっても、心の拠り所になるんだよ。

117 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/11 07:24
>105は掛搭してない(敢えてしない)禅僧です。

そんな奴、禅僧とは言わんぞ、普通。それは昔から小僧って言うんだ。(ププ)
結局、騒動逝くのが嫌で、何打寒だ理屈つけてるだけだろ。
まぁ嫌々行っても仕方ないし、周囲の邪魔だけどな。

>御意見を請います。

意見も何も、日本の伝統宗派が嫌なら辞めれば良いじゃん。
仏教には興味があるので、お坊さんにはなりたい、というならチベット行くもよし、ティクナットハンとこ行くもよし。
色々手立てはあるよ。
日本の伝統仏教に問題があるなら、自分が背負って立って変えるか、
それ以外を求めるかどっちかしかないでしょう。

118 :105:02/07/11 23:12
>>117どの。
>>115に応じてくださり感謝しておきます。
禅僧と自称したのは禅宗に僧籍が有るという意味でしたが、
禅を旨とする者を禅僧と称するのであるからして、この自称はOKかと。
小僧とは無礼ですぞ。(と予測済みの煽りを真に受けてみたり)
小生はもともと天台の密教行者として、座を担っておりますが、
複雑な理由あって転派しました(僧籍は残されているようですが)。
ただ、そうして内部から見たとき、元来の「禅」はいいのだが、
現代日本の「禅宗」の体たらくな現状はまことに嘆かわしく
思うのです。ここでは些末にして煩瑣なことは控えましょう。
ただ、大上段で申しますなら、禅は0か100かの世界ですから、
中途半端にしか坐っていない者は、僅かな体験(小悟り)にしがみつき、
聞きかじったことを取り澄まして説いても、所詮凡人です。
何年僧堂に居たから、その分偉いような、悟りに近づいたような、
そんな気になっている者が殆どであるのは、寔に笑止の沙汰です。
現状には様々な問題が有ります。しかし、そもそも其の一つに、
117のような既成仏教の現状に何ら問題意識さえ抱かぬ人が存在して
いることが問題です。
117の言う如く、嫌なら「まじめ」にやっている所に行けばよい。だが、
小生だけの問題としてなら、小生だけエスケープすれば事は済みますが、
そんなことで日本の仏教はどうなるのでしょう。小生は、日本の仏教界の
人間として、やはり、なんとかせねばという危機感を捨てるわけには
参りません。慥かに小生はまだ微力で、すぐさま自分が背負って立って
変革する段階までには至っておりませんが、将来的には大きく変えていく
志を幾許かもっております。
(何らかの運動を起こしている方々も居るには居られますが、“仲良し会”の
域を出ていない憾みは否めないでしょう。これでは泣き寝入りと同じでしょう。)
117どの。現状に甘んじたお主のような方も少なくないので(お主は現状を
知らないだけかも知れないが)、どこまで可能かは小生自身もわかりませんが、
地盤は着実に築かれつつあります。小生も日本仏教の為の棄て石となる覚悟は
出来て居るつもりです。そこで、禅を愛する人の多そうな茲の板で禅の(または
禅宗の)「良さ」「意義」を問うてみた次第にて。請う尊意。

119 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/11 23:38
それより自分の修行をした方が良いですよ。
変革とか運動とか言う前に、まずはあなた自信が見性すべく専一に己自究明すべきでは?
見性して真に禅を体得した僧侶でないと、禅宗を変えることはできないと思います。

「現代日本の禅宗」の腐敗なんか、どうでもいい事じゃないですか。
宗派の中に禅があるのではない。
禅とはあなたの中に、私の中にあるものでしょう?

私は僧堂での修行を経験した後、今はある老師に個人的に参禅して練り返しているところです。
僧堂には確かに酷い雲水もおりましたが、僧堂での修行はやはり禅僧の基本だと思います。

宗門の現状の酷さは知り過ぎる程知っていますが、それは後回し、どうでもいいことと思ってます。
あなたもまず、ご自分の禅の修行をされる所から始めるべきでしょう。
密教を捨てて禅の道に入られたからには、禅の修行を一からされるべきだと思います。

120 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/12 00:38
119氏のおっしゃることは正論と受け止めました。
ただ、小生の場合は、諸般の事情が有ったので、自ら好んで
密教を捨てたわけではないのです。小生の強調したいことの
ひとつは、宗派に固執することの弊害です。
在家から得度した有志の若者が、型にはめられたロボットに
なるのは、惜しいことと思います。往古の如く八宗兼学を地で
いくのもよいのではないかと。譬えば臨済僧なら、別派間では
転錫も可能ですが、他宗での修行は、人脈によって可能は可能
ですが、実際問題として制限が有るでしょう。それと、衒うわけ
ではありませんが、小生も地位が邪魔して禅宗の僧堂に掛搭する
というのも、自由がききません。禅宗は見性体験を重視し、寔に
宜しいのですが、仏教はそれだけではないわけですし。。。
貴殿の見性体験は如何なものだったのでしょうか。是非とも禅宗の
「良さ」、「現代的意義」などを教えてください。
なお、小生は変わり者でいこうと思います。可能な限り、信者さん方
に対して祈祷も続けていくつもりです。修験道も並行して行っていき
たいと思います。禅宗さんは、こういうのを特に嫌いますが。
(止観体系を有する天台は無論ですが、真言宗なども坐禅をやることには
全く批判的ではないのですが、単伝の仏法を標榜する禅宗は混修・兼修を
嫌いますよね)

121 :119:02/07/12 08:02
正論という言葉には
私はまだ見性しておりません。偉そうな書き方をしてしまいましたが、まだ未熟な雲水です。
長年僧堂で修行しましたが見性できませんでした。今は見性体験のある老師のもとに通って
参禅しております。ようやく善知識に巡り合えましたが、私の修行はまだまだこれからです。

僧堂での型にはまった修行(ほとんどが求道心の無い寺院の子弟であるため、本来の修行から大きく離れてしまっている)に疑問を持ち、僧堂を離れて参禅の師を探しました。たしかに「型にはめられ
たロボット」を量産するだけの所になりつつあるようです。


「禅の良さ」について私ごときがあらためて書くのも何ですが、臨済禅について言えば、
自己と万物との根源である「根本の一心」を明らかにする、自我を破産して無我そのものになりきる
という所に素晴らしさがあるように思います。
教義や経典などにとらわれず、仏教や禅という枠すら軽々と超越する自由さにも感動します。
達磨大師曰く、「心そのものが元来無上の道である」
道元禅師曰く、「仏道を学ぶとは自己を学ぶなり。自己を学ぶとは自己を忘るるなり...」
このように端的ですっきりした教えに心を惹かれて出家しました。

このような教えは、これからの時代には益々大きな意味を持つと思います。
現代人は皆悩んでいます。私も悩みに悩んだ末、出家しました。
悩みというものの多くは、「自我」や「自己」に関するものです。
「自我」や「自己」を前提として考えている限り、悩みは尽きません。

また、人々は悩みながらも、宗教に大しては距離を置きます。
形骸化した既存の伝統的仏教宗派のあり方や、特定の宗旨や教義に束縛される事に疑問を持つ人が
益々増えています。
しかし、禅の教えは、それを根底から覆すことができる解決法につながるのではないでしょうか。
宗門の中では無理ですが、実際に修行し、禅を深く体得した方なら、その教えの素晴らしさを、
禅とか仏教とかいう枠から離れて、空理空論ではなく実践的で普遍的な「生き方」の根本として
提示できるのではないでしょうか?

例えば精神医学に禅の教えを深く取り入れた森田療法という精神療法は、神経症(ノイローゼ)に対して従来の西洋医学的精神療法よりも遥かに効果的な治療が可能であるといいます。
自己とか自我の存在を中心に置いて、心を対象化してあれこれ理屈で「分析」する従来の精神医学と
異なり、森田療法では「いくら苦しくても心はそのまま放置し、心に関係なく生活する」という全く
逆の指導をします。
森田療法は、明治時代に森田正馬という精神科医と、宇佐ゲンユウという禅僧(円覚寺で修行された僧侶)が協力して作り上げたものです。
これからの時代、このようなアプローチも大いに必要となってくるのではないでしょうか。

長文失礼しました。

122 :121:02/07/12 08:03
すみません、最初の一行は誤入力です。

123 :105:02/07/12 12:01
>>119
尊意。

124 :名無しさん:02/07/13 23:46
>>121
私は出家を志す者で今そのための準備をしているところです。
もう十年以上前になりますが、中野の鈴木知準先生の所で森田療法
をうけた経験があります。元気にはなりましたがやはりどうしても
最後の最後のところが分からず出家を決意するに至りました。もう
ひとりやはり鈴木先生のところに行かれた方で既に出家されている
人を知っております。その方は総持寺貫首の板橋興宗老師のお弟子
さんで現在福井の発心寺で修行しておられます。森田療法と禅との
つながりの深さは鈴木先生もよく強調されていましたが、その方と
も「我々も落ち着くべきところに落ち着くようだね。ほかにも同じ
ような人がいるかもしれないね」などと話し合ったりしております。
私も身辺の整理がつき次第その方を通じて板橋老師の弟子にして頂
けるようお願いしてみようと思っています。私も出家までするほど
切羽詰っているわけですからまず自分自身の問題の解決が第一です
が、危機に瀕している日本の仏教をたてなおすため微力でも役にた
てればという思いとそれが間接的にでも閉塞したわが国の今の状況
を打開することにつながればという気持ちがあります。私は生涯一
雲水でいきたいと思っていますので十年〜二十年は修行と勉強に専念
しようと思っておりますが。121さんにもいつかお会いしたく思います。




125 :105:02/07/14 04:47
119さん、124さん、応援しております。
小生は、学僧として、また上記の如く個人的に自行に
精進して参ります。
歩む道は異なることになるかも知れませんが、
志をもつ者同士と考えさせてください。
日本仏教、まだまだ捨てたものでもないかも知れない。
末端の個人のほうが、輝いていますね。
決して何ものにも潰されることなど無きよう、
永久に御精進あられることを御祈念致しております。
合掌。

126 :121:02/07/14 07:08
>105
ありがとうございます。
そのように言って頂けると嬉しいです。お互いに頑張りましょう。
私も自分にできる範囲で精一杯の努力をして行くつもりです。

>124
書き込みを読んで大変嬉しく思いました。
私も同じような道を歩んだので他人事とは思えず、応援させて頂きたい気持ちで一杯です。

鈴木先生は有名な方ですね。私の知人にも鈴木先生に治療して頂いた方が居ます。
私は京都の宇佐晋一先生のお話をお聞きした事があり、禅に対する禅僧顔負けの深い理解に感激
した覚えがあります。現在、森田療法を正しく実践しているのは鈴木知準治療院と
宇佐先生の三聖病院だけであると聞きます。

ところで124さんは、すでに板橋老師に弟子入りされ事に決められたのですか?
また、小浜の発心寺や曹洞宗についてはよくご存知なのでしょうか?

127 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/14 12:34
このスレは志が高い・・・皆さんに合掌。
一在家ですが、こういう仏教者が沢山いれば
斜に構えた人達の宗教観もかわるでしょうね。
(当然良い方に)

128 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/16 03:12
今日、青山高樹町の永平寺別院−長谷寺に詣でてきた。
本堂の他、でかい一木の十一面観音様の堂があった。
全体に静謐なたたずまい。
機関誌をもらってきたが、なかなか難解。まさに禅問答(藁

129 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/17 11:32
DQNな坊さんしか知らなかったから、このスレ読んで少しショック受けた。
中にはまともな坊さんもいるんだなと。
でも、世の中には圧倒的にアフォ坊主の方が多いよね。

曹洞宗のある坐禅会に行ったら「ただ坐れば悟れます」と言われたので坐った。
指導係の坊さんに「悟りって何ですか?」と聞いたら「ただ坐ることが悟りです」と言う。
「じゃあ、坐っている時だけ悟っていて、坐っていない時は消えてしまうものなのですか?」
と聞いたらもの凄くイヤな顔で、「あんたは信心が足りません」だとさ。何だそれ!

ちなみに、自分で言うのも何だけど、質問する時の俺の態度は悪く無かったと思う。
「何か質問はありませんか」と聞くから、本当に知りたくて、謙虚に素直に質問したんだよ!

立派なお寺で坐禅の指導してる坊さんが、素人の疑問にちゃんと答えてくれなくてどうするよ。
悟ってるんなら、自分の言葉で、わかりやすく説明してくれよ。
悟ってないのなら、悟ってるようなフリして一般人騙すのやめろよ。

130 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/17 12:43
>129
禿しくワラタ!
笑い事じゃないんだが。。。

131 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/17 12:50
禅宗は、というか仏教は、というか宗教は、
本物偽物を見分ける目を養わないと。
そこらへんは2ちゃんと変わらない。

132 :金剛佛子:02/07/17 14:23
>>129
「一[火+主](いっちゅう:一本の線香が燃え尽きる時間、昔はこれで時間を計った)
坐れば一[火+主]の仏」という言葉が有ります。
曹洞宗は、本来悟っているからこそ修行する(内なる仏が修行をさせる)と考えます。

この考え方は、本覚思想といって、極めて高い境地を理論化した思想であり、
日本を含めて大乗仏教、とりわけ東アジア仏教思想の根幹をになう程に弘ま
りました。しかし、これを深く理解せず、聞きかじると、修行無用論に堕す
恐れがあります。

近年、曹洞宗の宗門大学である駒澤大学において、「業」の思想や、そこから
派生した仏教における差別思想を研究するプロジェクトが組まれたことが有り
ます。
曹洞宗では、曽つて宗務総長が認識不足から、「曹洞宗には差別思想や行為は
無く、以前においてもそのような事実は無かった」といった内容の発言を軽々
しくも発したたことがあり、そのことから議論が巻き起こり、日本の仏教に
差別思想や差別的行為がかなり行われていたことが指摘され、曹洞宗においても
決して例外ではなかった(むしろ可成り確認された)という報告が多く出され、
その宗務総長は謂わば吊るし上げの状態となりました。むろん、一宗の宗務総長の
発言ですから、相当の重みを有するものであり、宗門の信用問題に関わります。
日本では、江戸時代に士農工商穢多非人という制度が敷かれたという時代的背景、
および政治権力に媚びるといった背景が有ったので、叩けばいくらでも埃が
出たのです。そういった差別思想が仏教では「業」思想に基づくことから、
こういった研究プロジェクトが宗務庁の要請によって組まれたのです。
その一連の研究の中から、「本覚思想は仏教に非ず」という議論が生まれ、
学術界において非常に話題を提供しました。

指導係の坊さんがもの凄くイヤな顔をしたとおっしゃいましたが、おそらく、
その方は、貴方の質問によって、これら一連の動きを一瞬のうちに想起し、
内心「厄介な質問だ」と思って、構えてしまったのが、顔に表われたのでは
ないかと推測致します。別にその僧侶の肩をもつつもりではないのですが、
いいように理解すれば、このような背景が有ったのだと思うのです。
むろん、スッキリ答えられなかったのは、彼の修行と学業の不足を意味して
います。おそらく、そのあとで勉強しなおしていることでしょう。
(だといいのですが……)

133 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/17 16:03
>132
しかし、そこまで想起したぼうさんが
「あなたは信心が足りません」
と答えるか?
そりゃ、逆ギレというもんだ。

134 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

135 :金剛佛子:02/07/17 16:33
>>133
言われてみると、そうかも知れませんね(^^;
それなら、
「俺が信心足らんなら、あんたは勉強(or 修行)が足りん」
とか言ってみましょうか。
(でも、これじゃ宗教の訪問販売員の“破斥”っぽいかな)
129さんの疑団は、まことに根本を突いていると思われますので、
その坊さんももっと丁寧な対応をなされば、よかったのにと思います。
ただ、このことを理解するのに、「信」が重要だということは
言えているかも知れません。言い方が不親切なのが問題ですね。

136 :金剛佛子:02/07/17 17:46
一般に、専門僧堂を有するなどの大寺院で行われる
会社の社員研修などの坐禅会において、どういう方が
坐禅指導の任に当たるか、と申しますと、
指導が上手いから、とか禅僧的雰囲気を持っているから
(よく面構えが怖そうなほうが適任と見なされる)、
という理由で選ばれる場合がほとんどでして、
必ずしも修行ができて境界が高いなどといった理由では
ないものです。

坐禅には「厳しさ」というイメージをもつ人が多いと思われ
ます。そして、敢えてそれを求めて禅寺の門を叩かれる方も
少なくはないのではないでしょうか(社員研修の場合はなおさら)。
そのため、こわもてで、体育会系風の僧が
坐禅指導係に選ばれることが多いのです。
話が上手いとか、知識の有る人は、案内係や御説教などの部門に
まわるのことが多いでしょう。
坐禅指導をさせて戴くと、いろんなことが解って来て、
たいへん勉強になります。坐禅指導をしている僧は、
実は勉強させて貰っているというわけです。
本人も経験によって、まず間違いなく充分そのことを自覚しています。
ところが、そのような姿勢を見せられない(見せたくないというよりも)、
絶対になめられてはならない(参禅に来た人が残念がるし、第一に沽券
にかかわる)
という宿命が有りますから、気負いも有って、虚勢を張ることも
有るでしょう。むしろ、修行の為にはそれが要求されると言っても
大過ないと思ったりもします。

137 :129:02/07/17 18:56
皆様、レス有難うございます。
このスレはやはりレベル高いですね。マジレスしてもらえて嬉しいです。

では曹洞宗のお坊さんにあらためて質問させて頂きます。
132さんの書かれている「本覚思想」というのは道元禅師の教えとは別物なんですか?
「本覚思想は仏教に非ず」というのなら、今の曹洞宗は道元禅師の教えを否定する宗派なのですか?

実は、正直なところ僕の質問と「本覚思想云々..」という理屈や「差別思想/行為」との関係が、さっぱりわからないのです。
単に僕が勉強不足だからでしょうか?

僕は、「ただひたすら坐ることが悟りである」と言われた事に疑問を感じたので、
「では、坐っていない時は悟っていないのですか?」と質問しました。
それに対して、指導係の坊さんは気を悪くされました。
それは、その坊さん自身が、言ったことに自信がなかった(よくわかってなかった)から、
「痛いとこ突っ込むなよこのガキ!」という意味だった...
というのは容易に想像できます。

でも、その裏に実は「本覚思想」を巡る曹洞宗内部の一連の議論が関係していた..

うーん、よくわかんないです(藁
金剛佛子さんは、実際にこの質問されたら、どのように答えられますか?

138 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/17 20:58
>>129さん
その疑問は尤もなことですね。
でも禅宗は理屈を嫌います。
「言葉尻捉えないで自分ですわって答え見つけろや〜〜!!」
とその指導係りの坊さんは思ったのかもね。
基本的に体育会系な世界です。禅寺って・・・・。
ちなみに、座禅だけが禅ではないのです。思惑を廃し只管に日常を送ることもまた禅です。
今回は「ただひたすら座るって」と言ってますが、座るが大事なのではなく、その前の「ただひたすら」が大事なのです。
道元禅師も修行を始めた頃、仏像を見て「悟ってるはずの仏がなぜ修行するのか?」と疑問におもったそうです。 
そして、悟るために修行するのではなく心身脱落して修行する事そのものが悟りの世界なのだと悟ったそうです。
これに関して、ある禅宗の僧侶が私にこんな話をしてくれました。(臨済宗ですが・・)
テレビで高校野球を見ながらですが、
僧「この野球選手は御師家さんだよ。」
私「はあ・・・」
僧「暑さにも観客の声援にも惑わされずにボールを追う姿そのものが悟りの世界じゃないか」
私「・・・・そういうもんすか・・」
僧「うむ。野球にかぎらず、マラソンでもサッカーでもスポーツ選手はみなわしの御師家さんじゃよ」
正直な話、私がこの僧の言うことを100%理解してるかどうかはまだわからんです。
でも道元禅師がいう心身脱落只管打座に通じるものを感じたです。

とまあ、いろいろ書きましたが、>>129さんの会ったその坊さんがDQNな可能性は否定できませんな(藁
でも、その坊さんも同じ事を疑問に思って先輩などに聞いた時、同じ意見が帰ってきたんだろうという事も想像に難くないな



139 :124:02/07/17 21:05
>>126
レスをありがとうございました。ここ数日パソコンに向かっていなかっ
たものでこちらのレスが遅れてしまい申し訳ありませんでした。板橋老
師のことは著書を通じてですがとても立派な方と思いますし、私と郷里
が同じであること、先に述べた方の紹介を受けられる事などから考えま
して弟子にして頂けるようお願いする方としては最適の方と考えており
ます。また私は道元禅師を深く信奉しておりますので出家するとすれば曹
洞宗以外には考えられません。一般に臨済宗の方が厳しく曹洞宗は緩いと
いわれてはいるようですが私は公案禅に少し抵抗も感じるものですから。
そして板橋老師の弟子にして頂けた場合発心寺か金沢の大乗寺に送られる
ということになるようです。発心寺のことは分かりませんが大乗寺には今
年の初めに四泊五日で参禅に行ってきました。色々な方がおられ中にはトン
デモナイ人もいました。全体的に緩いかなという印象もありこのお寺で
いいのかなと思ったりもしました。しかしお釈迦様が僧侶の共同生活と
いう修行のシステムをお考えになったその原点に立ち返ってみると、そ
ういったトンデモナイ人も含めたそれぞれの業を背負った様々な人間達
が共同生活を営み、いろんなぶつかり合いや試行錯誤、泣き笑いなどを
積み重ねる中でついには出家した誰もが遅かれ早かれ釈迦牟尼仏の法へ
と導かれていくとそう考えたほうがむしろ本来の仏教のあり方に近いの
ではないかと思えるようになりました。やはり出家するという決意と行
為こそが何にもまして重要かつ尊いのではないかと思います。ただ金剛
佛子さんが指摘されましたように道元禅師の「出家の日がすなわち悟り
の日」というある意味で思いやりにあふれる言葉に甘えてしまって、修
行を怠けることがないよう充分気をつけなくてはいけないとは思います。
厳しい血のでるような修行が前提にあってこその本覚思想なわけですから。
ともかくなんとか板橋老師の弟子にして頂いてあとは老師の指示に従うの
が一番いいかなと今は思っております。

140 :金剛佛子:02/07/17 23:16
 >「本覚思想は仏教に非ず」というのなら、今の曹洞宗は
 >道元禅師の教えを否定する宗派なのですか?

私は曹洞宗については門外漢で、曹洞門下の学者から
聞きかじった知識しか御座いませんが、
道元禅師のお悟りや思想が如何なるものであったのか、
その出自や行実と共に、見解が区々のようです。
曹洞宗としての模範的解答を推測すれば、
「道元禅師は当時蔓延していた“悪しき天台本覚法門”(*注)に
疑問を抱いて比叡山を離れ、宋に渡られて如浄禅師にまみえて
「正伝の仏法」を伝えられ、そこでお悟りを開かれた。
その後、長き歴史の中で曹洞宗は一部密教と融合した経緯は
有るが、それは方便であり(?)、道元禅師のお悟りは
正しく現在に伝えられている」
といったところなのでしょうか。

(*注)【天台本覚法門】
中古天台において行われた本覚思想。本覚思想はあらゆる
相対概念が「不二」であるということを根拠に、「凡聖不二」
「煩悩即涅槃」という思想をを導き出し、衆生は本来的に
悟っているという考え方。あらゆる相対は「不二」に帰一
するとする。これを逆観すれば、この「不二」が現実の
すがたとして顕われているといる論理が成立する。これ自体
は大乗仏教至極の教えといえる。しかし、日本では、その
現実肯定的風土と思惟傾向に影響され、鎌倉期では比叡山を
中心として「凡夫こそが現実の仏のすがた」と考えられ、
修行無用論を打ち出すに至った。

(ゴミレスつづく)

141 :金剛佛子:02/07/17 23:19
(ゴミレスの続き)
しかし、実際には、「道元禅」は道元禅師から絶えることなく
継承されて来たわけではありませんでした。
禅師の直後から、密教色の濃い日本達摩宗の人々がその法系を担い、
瑩山禅師によって、ようやく盛り上がりをみせました。
しかし、瑩山禅師の思想や行動にも、密教色が濃いなど、
道元禅師の教えとは異なるものでした。とは言え、
現在にまで道元禅師の法脈が続いているのは瑩山禅師の功績に
負うこと大であることには変わりなく、今も釋尊とこの両禅師を
一仏両祖と称し、本尊様としてお祀りしています。

しかるに、現代になって、文献学に基づく価値ある研究により、
道元禅について多くのことが判明してきました。

とは言え、根本の所には異議が残ります。
道元禅師が著したという『正法眼蔵』にも幾種類か有り、
どれが真撰なのか未だに完全には決着がついていません。
本書は長く経蔵に封印されて、一般の僧侶は全く見ること
さえできなかった書物であったことも原因するのでしょう。
また、道元禅師は鎌倉行化を境に思想の変遷が有ったとする
説もあります。ほかにも論点は山ほど有ります。

つまり、そもそも「道元禅」の実像自体、
まだまだ わからないこと だらけなのです。

駒澤大学の業論研究会から生まれた「本覚思想は仏教に非ず」
といった主張、所謂「批判仏教」といった仏教の“研究方法”は、
自己および全てを常に否定していくことが仏教の本当の在り方
という、ひとつの“信念”です。
そして「批判仏教」を提唱した学者は、道元禅師の思想
(少なくとも晩年の)は、本覚思想ではなかったと結論
づけています。
(もっとも、その学者たちが曹洞宗の僧籍を有するため、
結局は自宗の顕彰じゃないか、と疑問を呈する人もいます。
しかし、本人たちは、たとえ宗祖であれ、斥けるべき点が
有れば斥けるべきというスタンスを表明しています)。

>>132において、書き込んだ責任上、お答えせねばと思い、
雑駁な文章を書きましたが、たいへん難しい問題で、
私にはこれ以上のことは答えられません。m(_ _)m

長文失礼しました。

142 :金剛佛子:02/07/17 23:48
叱られそうですが、

 >じゃあ、坐っている時だけ悟っていて、
  坐っていない時は消えてしまうものなのですか?

という疑問について、愚考を呈するのを失念しておりました。
“坐ること”こそ仏(悟り)の顕現、“坐っていないとき”は
仏が内蔵された状態で、その用(はたら)は十全に顕現していません。
しかし、貴方がここへ坐りに来たのは、貴方自身の内なる仏が
そうさせたのです。そして、坐ればそのまま仏です。
習熟するにしたがって、行住坐臥に本来悟りそのものであったことが
自覚されるでしょう。

私は本覚思想論者かも知れません。


 >実は、正直なところ僕の質問と「本覚思想云々..」という理屈や
 >「差別思想/行為」との関係が、さっぱりわからないのです。

「坐ることが悟り」とは、本来悟っているからこそ修行する(坐る)ので
あるから、修行は本来成仏の顕現となるという理屈。現実のすがたが真理
であり、悟りなのであるという現実の絶対肯定的本覚思想につながります。
本覚思想は、万物の根元となる一種の基体を立て、そこから悟迷・聖凡・
浄穢など一切の事象が顕れる(事象が顕れるということは必ず相対性を
伴う、相対性を伴わないものは不可得)と捉えます。批判仏教は、この
基体説を本覚思想と同一規定します。そこで、次のような図式が生まれます。

業思想=輪廻の主体を立てる=親の因果が子に祟るという差別思想=基体説
=本覚思想

現在の曹洞宗が、差別発言と本覚思想に神経質なのは確かです。

143 :129:02/07/18 17:14
>>金剛佛子さま
ゴミレスだなんてとんでもない!
こんな未熟者のために真剣にレスして頂き有難うございます。m(_ _)m
曹洞宗も、歴史的に色々あったのですね。
道元禅師の教え一筋の宗派だと思っていましたが、僕の理解が浅かったようです。
この件については、今後自分なりに坐禅したり勉強したりして行く中で、理解を深めて行こうと
思います。正直なところ、今はまだ難しくてピンときませんです(藁
とにかく、色々と有難うございますた!

>>138
以前臨済宗の坊さんの本で
「坐禅している時は、過去も未来もなくて、ただひたすら坐禅するだけ。
飯を食っている時も、過去も未来もなくて、ただ無心に飯を食っているだけ。
無心に何かに取り組んでいる瞬間には、意識の中に妄想も煩悩も何も存在しない。
生まれたままの赤子のような人間本来の心そのもの。これが禅の本質」
というような感じの事を読んだのですが、高校野球の選手が師家
(老師さまの事ですよね?)だというお話も、それに通じますよね。

そういうイメージを事前に持っていたせいで、例の曹洞宗の坊さんの
「坐禅する事がすなわち悟りなのです」という話に引っ掛かったのです。
じゃあ「悟り=坐禅」だとしたら、坐禅だけが悟りで、坐禅してる時以外は悟りは
消えてしまうものなのですか?と質問したら逆ギレ(W)されてしまったので憤慨した、と。

良く考えてみると、実は、あの坊さんも言いたい事は同じだったのかもしれない。
ただ、あの時はゆっくり説明してるヒマが無かったとか、イライラしてたとか、
それだけの事だったかも。
ああ、オレってやっぱり未熟者...
出直しますです(汗



144 :126:02/07/19 13:23
>>139
レスが遅くなり申し訳ありません。
139さんのお気持ちは良くわかりました。
十分考えられた上で、あなた自信が納得される方法で出家されるのが一番だと思います。
前回のレスからは126さんが真剣に出家を考えておられるのが伝わって来ました。

別に板橋老師を批判する訳ではありませんが、現在管長をされていますし、かなりご高齢です。
しかも講演や行事などで日本中を飛び回る大変忙しい方です。
また、実は私も大乗寺に行った事があり、126さんと同じようにとんでもない印象を受けましたので、心配になりついおせっかいな事を申し上げてしまいました。

しかし相手がどんな僧侶であろうと、「本を読んで感激した」「郷里が同じだから」「紹介を受けられるから」という理由だけで弟子入りする師匠を決めるのはやめた方が良いと思います。
実際に会い、じっくりお話してみてから決めた方が良いと思います。
「本で読んだり人から聞いた話は良かったけど、実際に会ったら心が通じなかった」という事もよくあるからです。

真剣なあなたの気持ちをしっかり受け止めて下さる方かどうか。
あなたの気持ちに応え、教え導いて下さる方かどうか。
また、自分の人生を全てお預けできる方かどうか。

まずは弟子入りしたいという話をする前に、ゆっくりお会いしてお話を伺ったらどうでしょうか?
いきなり結婚するのではなくて、「お見合い」みたいなものです。

忙しくてゆっくり会ってもらえなかった場合
また、あなたの真剣な悩みと決意に対して真摯に相談に乗ってくださる方ではなかった場合
お会いしても心が通じるような気がしなかった場合
寄付金を依頼された場合

そのような場合は、その方の弟子になるべきではありません。
そういう僧侶の弟子になったら後悔するのが目に見えているからです。
そのような方は、あなたの為に真剣に考えてくださる訳がないからです。

お見合いの時に「忙しいのであんたと会っている時間は無い」という人と結婚をしようという人は
まず居ないと思います。全然心が通わない人と一生を共に過ごそうという人もいませんよね。
プロフィールだけ見て気に入って、見合いを飛び越していきなり結婚される方もいないと思います。
最初から「あなたに弟子入りします」という前提で紹介されてお会いすると、いざという時に困ることになります。双方、後戻りができないからです。

次のレスに続く〜


145 :126:02/07/19 13:24

〜前レスの続き
仏門の弟子と師匠の関係と言うのは、夫婦とか親子よりも強い絆です。
それだけに、色々な老師に直接会って話を聴き、こちらの話を聴いていただき、その上で自分が最も信頼できる方、しっかり導いてくれそうな方に弟子入りすべきだと思います。
これは別に「何人かの老師をてんびんに掛けて品定めする」というような失礼な事ではありません。
他のスレでも書きましたが、禅では「急いで師匠を決めて10年間修行するよりも、10年間かけて正しい師匠を探すべきである」と昔から言われます。まずは色々な僧侶に会って下さい。

私は出家して失敗した方を何人か知っています。
師匠は有名な僧侶だったり、本を何冊も出している方だったりしますが、出家して悩む〜行き詰まるのは、そのような師匠がしっかりと弟子を導いてくれなかった、というケースが多いのです。

139さんは真面目で真剣に考えておられるので、そのような失敗はしてほしくありません。
私自身も神経症で悩んだ経験から申し上げますと、
神経症的な傾向があり繊細で自己葛藤の強い人ほど、出家しても挫折する人が多いのです。
実際に出家してみるまでは、僧侶の社会の実情は分かりません。
外見は良くても、内部は相当に堕落しているところも沢山あります。

>そういったトンデモナイ人も含めたそれぞれの業を背負った様々な人間達
>が共同生活を営み、いろんなぶつかり合いや試行錯誤、泣き笑いなどを
>積み重ねる中でついには出家した誰もが遅かれ早かれ釈迦牟尼仏の法へ
>と導かれていくとそう考えたほうがむしろ本来の仏教のあり方に近いの
>ではないかと思えるようになりました。

たしかにその通りだと思いますが、本人がいくらそのような純真な気持ちで『血の出るような修行』を望んで出家しても、仏法に正しく導いてくれる師匠と、さらに志を共にして一緒に修行する正しい「道友」がいなければ、貴方一人の力ではどうにもなるものではありません。
お寺に長年暮らせば、そのうちに仏法が自然に身に付く、という訳ではないのです。

『出家するという決意と行為こそが何にもまして重要かつ尊い』からこそ、
その一大事を無駄にされることが無いように、貴方が素晴らしい師匠に巡り合えますように、心よりお祈り申し上げます。
もしよかったらメール下さい。

長レス失礼しました。
合掌

146 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/20 00:38
大井際断老師の評判 きぼ〜んぬ

147 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/20 01:05
師匠との相性で大悟できるか決まるそうですね。

白隠禅師も色々独自の公案を考えたりと、
偉い人だったなと感じます。





148 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/07/20 01:48
>>143
遅レスになりますが129でおっしゃられていたことについて私なりに
考えてみました。まず禅においては朝起きてから再び床に就くまでの
すべての動きが坐禅と同等の修行と考えなくてはいけないと思います。
そこで悟りとは何かという問題ですが例えばこのような経験はないで
すか。仕事などに取り掛かる時これをすればいくらもらえるとかある
いは出世などにつながると考えるのが普通だと思いますが、やってい
るうちにそのようなことは吹っ飛んでしまい、ただいかにして完璧に
手際よく仕上げるかということで頭の中は一杯になってしまう。まる
で自分の意志と無関係であるかのように頭も体も勝手に動いてなおか
つ最も適切な行動がとれている。そういういわゆる入りきった経験を
したことがきっとあるかと思いますがその状態をすなわち悟りといっ
ていいのではないかと思います。決して特別な境地ではなく普通の人
でも出たり消えたりしているものです。そこで出たり消えたりではな
くいかにして長く深くそういう状態を維持するかがテーマとなるわけ
でそこに修行が必要となってくるのだと思います。その修行は終わり
がなく一生続くものです。「坐る事が悟り」という答えは明らかに
不十分だと思います。

149 :金剛佛子:02/07/20 04:55
少なくとも曹洞宗では
「坐ることが悟り」ときっぱり言います。
これは曹洞宗の根本なんです。

  >いかにして長く深くそういう状態を維持するかがテーマとなるわけ
  >でそこに修行が必要となってくるのだと思います。

これですと、なにやら坐禅がヨーガの集中力持続訓練法
のようになってしまいませんか?
禅のテーマはそういう所に有るのではありません。
禅は自律神経の鍛錬法にも訳立ちはしますが、
それは副次的効果であって、
それが禅というわけではないのですから。

曹洞宗では、「威儀即仏法」と言いますが、
これは「日常の所作が仏法そのものだ」という
ことで、それに気付くのが悟りと言っていいでしょう。
ですから、坐っていないときには消えてしまう
というものではありません。
禅はあらゆる相対概念を離れるようにいいますが、
坐禅している時と坐禅していない時を分けるのも
相対概念にしばられてしまっていると言えるでしょう。
畢竟すれば、
仏性が内蔵しているという因の立場と
仏性が顕現しているという果の立場、
この両者を分けることも離れていくことになります。

150 :金剛佛子:02/07/20 05:10
付言。
なお、「それに気付くのが悟りと言っていいでしょう」
と言いましたが、敢えて言えばこういうことという
意味でして、悟りは概念化したり規定したりするもの
でもなく、元来そのままが悟りなのでありまして、
追い求めるものでもないのです。

伝灯録を見ますと、
長年一所懸命に坐禅してきたが、なかなか悟れず、
あきらめ気分で一息入れようと背後の壁に頭を
もたれた瞬間、豁然と大悟した
という中国の有名な禅師がいます。
この故事を読んだとき、「なるほど」と思ったことがありました。

151 :あげ童子:02/07/28 08:31
挙げ

152 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/29 21:17
このコテハンさん、理屈ばっかりだね。
書いてる事が、全然心に響いてこない。
思い込みや間違いも多いし。


理 屈 や 知 識 だ け な ら 何 と で も 言 え ま す よ 。

153 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/30 07:08
>>150
>なお、「それに気付くのが悟りと言っていいでしょう」
>と言いましたが、敢えて言えばこういうことという
>意味でして、悟りは概念化したり規定したりするもの
>でもなく、元来そのままが悟りなのでありまして、
>追い求めるものでもないのです。
それはいわゆる先尼外道ではないですか。
道元禅師は弁道話の中でその考え方は否定してますよ。

154 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/30 08:51
>>152
心に響かせることを目的とはしていません。
自らごみレスと称したの所以です。 しかし、
もし、思い込みや間違いと思われる点が有れば、
具体的に指摘した上、根拠を以て反駁しなさい。
>>153
150は道元禅師に則った言ではありません。

155 :金剛佛子:02/07/30 08:54
154=金剛佛子
とはいえ、スレ違いになりますから、
もし、更に議論を要すると思う場合は、
別スレで行いましょうか。
「禅」か「質問箱」あたりかな。

156 :金剛佛子:02/07/30 09:21
「禅」・「質問箱」スレは「心と宗教」板でした。
「質問箱から派生した議論」スレのほうがいいかも知れませんね。
別スレに飛ぶ際は、できれば指定されたし。

157 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/30 09:22
コテハンさん、あなた本当にお坊さん?
それともただの仏教ヲタクですか?
書き込みからは全然坊さんという感じがしないぜよ。

>心に響かせることを目的とはしていません。
別にそういうのを意図するとかしないとかじゃなくて、
真に仏教的/禅的な心境から発せられた言葉は、
それだけで人に感銘を与えるもんだと思いますよ。

152(夏厨か?)が言いたかったのも同じ様なことじゃなかったのかな?
理屈と自己主張ばっかりで、信仰心のない学者の話聴いてるようだ。

俺は議論するつもりは無いので、逝ってきます(藁
坊主だけど、あなたみたいに豊富な知識もないし
理屈っぽい人と議論すると、疲れるだけだろうから(藁2

最後に。
曹洞禅(というか禅)に関するあなたの考察は、ずいぶん自分勝手だし偏ってると思うぞ。
臨済禅の事も、少し勉強した方がいいよ。

158 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/30 10:28
>>157
苦言を呈して頂き感謝致しております。
小生は僧侶ですが、禅宗を専門とはしていません。
一点、お尋ねしたいのですが、もし、尊候ならば
129さんの質問に対し、如何に御応えになられますか。
やはり、信仰心が足りぬと喝破されますか?
小生は、雲水に対してならそれでいいと思います。
しかし、一般の参禅者に対し、相手のその時の心境に合わせて
些か老婆親切を労することも必要ではなかろうかとも思うのです。
人によっては、まず第一義を示され、その瞬間に直ぐさま気付かずとも、
理屈を聞いて一度智解した後、それにあき足らずに、
更によくよく自分で坐ってみて、改めて気付くといった道順も
有ろうかと思うのです。実際は、そういう場合のほうが多いのでは
ないでしょうか。小生は、129氏が現時点では理を求めて
いるのではと感じ、小生のできる範囲での「解説」を行った
次第です。

それから、曹洞禅に関する小生の考察の、どのあたりが恣意的か
何卒御教示下さいますようお願い致します。
臨済禅のどのあたりがわかっていないのでしょうか。
漠然とした質問ですが、何かヒントを与えてくだされば、
甘えたお願いですが、今後の糧と致したく存じます。

なお、小生は御推察のとおりの学侶です。
一度、頭で理解してもらって、その後、なんだアイツの
言っていたようなことじゃダメじゃないかと、貶される
のが仕事です。なにとぞ、その点は御理解のほどを・・・。

159 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/07/31 00:31
坐っているというのは、肉体的ないわゆる座禅の状態を指すだけでなく

己自身が坐っている、つまり中心がどっかりと安定して円満な状態といおうか。

そして己を信じている。

だから「坐っているのが悟りなら、坐らないならどうなる?」という問いに

「信心が足らぬ」となったわけだわな。

160 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/04 12:47
↑ありがとうございます。
だが、そんなことでは初心者レベルでは?
もし、禅がそれで終始しているなら、
禅はレベルが低すぎるということになりませんか?
それに、仏教でなくても充分ですね。

161 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/04 19:47
坐禅て、ただ座るだけなんだけど、これがまた奥が深いんだな。深みにはまると、
なかなか抜けられなくなるよ、おもしろくて。だから、一般の在家の人は、あんまり
真剣にやらないほうがいいと思うよ。日常生活に支障をきたして人に迷惑をかけたり
してもねえ・・・。一般の方で仕事そっちのけで坐禅に打ち込み家族は大迷惑、
なんて人結構いますよ、本人は幸せなんだろうけどね。
やっぱり本格的にやるなら出家しなきゃ、で、禅道場どっかおすすめある?
私個人的には北鎌倉の円覚僧堂の横田康岳老師をおすすめします。在家の受け入れも
積極的だし、なにより参禅第一の人なので。

162 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/04 20:58
はあ?

163 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/04 21:11
>161
ハア?
ま、真剣に坐禅やった人間の発言ではないな(W
あなたは、その奥深い禅の深みにはまってる訳ですか?
書き込みからは全然「深み」が伝わってきませんが...
坐るだけが禅じゃないよ。
日常に支障が出るような坐禅も本末転倒。
円覚寺は居士林もあるし、円覚僧堂の老師は若くていい老師かもしれんけど、
仕事そっちのけで坐禅して家族に迷惑かけるような居士大姉を大量生産しているようなら、
善知識とは言えないな。
って、別の話ですか?


164 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/04 21:21
>>161 は、師家を云々してる時点で・・・。

165 :あげ童子:02/08/12 00:49
良スレにつきAGE

166 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/16 16:43
円覚寺情報きぼんぬ

167 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/16 19:36
>>166
数年前居士林の土日坐禅会に参加した事があるが、初めての者でも兎に角よく怒鳴られる。
怒鳴るのは雲水ではなく、古参在家の居士。
毎回5〜6人の参加者がいるが、余程の求道心が無いとまず続かない。
坐禅は、苦行でも我慢比べでもない。
在家で禅に関心を持ったものに、禅の素晴らしさ 奥の深さを知って貰う為にも、
長く続けさせる様な指導方法が、あってもいいものだと思うのですが。

168 :だめぽ:02/08/16 20:31
>>168
全部で5、6人ですか?
在家居士ってずっと僧堂に住んでるんですか?

169 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/16 20:52
全部で約20人前後。
皆、通いだった様でしたね。

170 :だめぽ:02/08/16 20:59

>>167、169
鎌倉に住んでるので参加しようと思います。
結跏趺坐(←一発で変換できた!)を
2時間以上耐えたことがありません。
やばいでしょうか。


171 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/16 21:08
結跏趺坐を2時間続けられたら、上出来じゃないですか?
( 毎回5〜6人というのは、坐禅未経験者・つまり初めての参加者の数です。 )

172 :謎?:02/08/16 21:17
みつけた。これだ!
http://ja2kai.hoops.livedoor.com
?なんだ??

173 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/16 22:01
↑危険踏むな

174 :居士:02/08/16 22:55

お寺と縁のないサラリーマン家庭の生まれなのですが
坐禅歴10年になります。
最近、出家したいです。というより、坐禅専一の生活をしたいです。

死ぬまで雲水というわけにはいかないと思うのですが、
その後の進路として還俗する、どこかの住職になる、以外に
どんなバリエーションがあるのでしょうか?


175 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/17 00:02
>死ぬまで雲水というわけにはいかないと思うのですが、
>その後の進路として還俗する、どこかの住職になる、以外に
>どんなバリエーションがあるのでしょうか?

「還俗しない」ということは僧侶でいるということ、
「住職しない」ということはどこかの寺院に腰を落ち着けないということ、
そうなると「行雲流水の如く諸方を渡り歩く」か「小僧さん」だね。

しかし、まだやってもいないことのその先を見るという行為は
まったくもって無駄だと思うし、苦しいときの逃げ道になるだけです。

176 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/17 00:10
>>174

まず、あなたは今何宗で坐禅されているのですか?
臨済宗と曹洞宗では色々違いますので、教えて下さい。

あなたは出家して僧侶として生きたいのですか?
それともただ『坐禅専一の生活』をしたいだけなのですか?

例えば曹洞宗には山里の寺で共同生活しながら坐禅や畑仕事をして暮らしている
坊さん(雲水)たちもいますが、一般社会から距離を置いて、小さな集団で坐禅だけを
して暮らすというのは上座(小乗)仏教的で純粋な修行者という感じもしますが、
悪く言えば厭世的で内向きで閉鎖的、自分達の事しか頭に無いというか、社会とのかかわり
を断絶して自分達だけ清く正しく坐禅三昧の生活で気持ちよくなっているだけのような部分
もあります。
修行によって自己を高め、衆生(世間に生きる人々)の為に何かをするのが僧侶の役目であ
り、宗教の存在理由だと思うので、坐禅三昧の生活をしているだけではただのカルトとしか
言えないのではないかという気もします。
しかも、禅は坐禅することだけではありません。

一般社会から離れて、僧堂という隔絶された場所で一生坐禅だけしていたいというのが
出家の動機なら、やめておいた方がいいですよ。

還俗もせず、住職にもならないというのなら、宗門の中に居場所はありませんよ。
でも、檀家が少なくて小さい空き寺などの住職になれば、普通の寺の住職みたいに法事や葬
式に煩わされず、最低限の生活をしながらマイペースで坐禅三昧の生活も可能かもしれません。


177 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/17 00:13
 盆明けのそぉ〜と〜現役ぼーずなんすけど。
 ふらぁ〜っと眺めてたらこんなスレがあったんで一言だけ。

 道場だの理屈だのにあれこれ拘っている暇があったら、
 あなたのやっていること一つ一つ(遊びであろうが仕事であ
 ろうが)に集中する方に全力を傾けたら?

 あなたの目の前に現れる事柄の一つ一つをキチンと受け止めて
 取り組むことが、坐にあっては坐に徹するって事で、その積み重ねが
 只管打坐ちゅうことなんじゃなかろうかと思うわけで、その繰り返しが
 生涯雲水ってことなんじゃないっすかね。


 ただ坐ればそれが悟り・・・じゃなくて、坐る時、坐る場面(機会)に
 巡り会ったら、理屈や回りのざわめきに気を取られず、キチンと坐
 ることに徹することが出来る事、そして坐る機会に巡り会えたことを
 感謝する事と味わいきる事が出来た、って実感を持つくらいで
 もかなり難しいと思うんですけど。

 そんなに格式の高い道場にいきたいんすかね。

 本山や僧堂、たまにある現職研修よりも普段の人付き合いや
 寺の維持管理の方がよほど厳しくて、取り組み甲斐があると
 思うんですけど。


 偶々あなたがけしからん道場で嫌な思いをされて疑問や不満を
 持ったにせよ、あなたのそれまでの暮らしの一つ一つの積み重ね
 と、相手の暮らしの一つ一つの積み重ねがホンの一瞬交わった
 時にあなたが「坐」してた・・・・って・・ホントは凄い
 事なんですけどね。

 (すんません、どっちかちゅうと弛緩多挫(って文字変換で出る
 のね)な娑婆坊主なんで説明が下手で。
 ま、2CHにいるくらいだからどの程度かは察してください。


 
 

178 :174:02/08/17 01:15

>174の趣旨は、自分の修行の成果を社会に還元する方法として
必ずしも、僧侶であったり、住職であったりする必要はないのではないか、
と思ったので、そういう方向を選ぶ方も実際にいるのかなあという疑問です。

出家を坐禅専一と言い換えたのは出家しなくては僧堂に入れないというのはおかしいと
思ったからです。
死ぬまで雲水というわけにはいかないというのは、遅かれ早かれ僧堂を出ることになる、
いつまでも坐禅だけやってればいいというわけではないという意味です。

とはいえ、住職になっても、檀家をまわってお経をあげて、戒名つけるだけ、
檀家も、お寺にそれ以上求めるものがないというような形骸化した状況に
陥ってしまうようでは悲しい、せっかくの人類の叡智である仏教をより魅力的な形で
人々に提供できないか、と思うわけです。



179 :176:02/08/17 07:01
>>174の趣旨は、自分の修行の成果を社会に還元する方法として
>必ずしも、僧侶であったり、住職であったりする必要はないのではないか、
>と思ったので、そういう方向を選ぶ方も実際にいるのかなあという疑問です。

今のあなた自身の生活の中で、坐禅の成果を役立てたらいいのではないですか?
自分の身の回りから始めればよいのでは?別に出家する必要はないですよね。

>出家を坐禅専一と言い換えたのは出家しなくては僧堂に入れないというのはおかしいと
>思ったからです。

僧堂は基本的に出家者が禅の修行をするところです。
「出家してない人間が僧堂で修行できないのはおかしい」などという子供じみた事を言う
のはやめてください。
「女が土俵に上がれないのはおかしい」とか「修験道や密教の女人禁制はおかしい」
とかいうのとあんまり変わりませんよ。
在家のまま修行したい人には、普通の寺院での坐禅会や居士林などのそれに相応しい
場所が在ります。
僧堂でも、在家者の坐禅・参禅を受け入れているところもありますので、そういうところを
ご自分でお探しください。

>とはいえ、住職になっても、檀家をまわってお経をあげて、戒名つけるだけ、
>檀家も、お寺にそれ以上求めるものがないというような形骸化した状況に
>陥ってしまうようでは悲しい、せっかくの人類の叡智である仏教をより魅力的な形で
>人々に提供できないか、と思うわけです。

論ずるよりも実際に行動してみることです。
形骸化した伝統仏教と、それを取り巻く周囲の慣例に逆らうのは容易ではありませんが、
私は在家出身の臨済宗僧侶ですが「形骸化」しないように自分なりに工夫し努力していま
す。そうすれば、少しづつでも自分が出家前に描いていた理想に近付けると思っています。

>178
あなたの「質問」に3人がまじめにレスしてくれているのだから、
その回答が気に入らなかったとしても、もう少し良い「答え方」があると思うのですが。
178のレスを読んでますますあなたの意図がわからなくなりましたよ。

180 :174:02/08/17 11:23

回答してくださった方々ありがとうございます。

在家でも居士林で修行して普段の生活の中で活かせばよいというのは
いろんなところで聞く話です。たしかにそのとおりだと思います。

数年前そう考え、普通に就職活動して会社に入りました。
しかし会社では現在、陰湿なリストラが行われ、
うつ病で精神科に通う人が何人もいて自殺者まででています。
日本経済が大変な状況になっているのはわかりますが
もう少しましなやり方はないのだろうかと思います。
先日、退職する先輩が膨大な書類を整理していたのですが、周りの人は
知らん振りしていたので、手伝ってあげたところ、あとで
周りから、辞めるやつの手伝いをするなんて
お前は馬鹿か、などと言われました。
自分も、クビにはならなかったものの異動になりました。
こんな状況でも毎日最低30分は坐っており、その功徳は
はっきり感じております。何とか腐らずに生きております。

いまさら会社にしがみついて長く勤めればそのうちいいことがある時代でもない、
出家してこれでよしと納得がいくまで修行したい、そのほうが自分の人生にとって
よっぽど価値があると思い、いくつかの在家道場をまわりました。

それは現実逃避だ、血反吐をはいて働け、坊主になっても詰まらんという老師もいれば
うちに来い、好きなだけ坐れという老師もいました(亡くなってしまいましたが)。

どちらが正しいか分かりません。
僧堂生活のその後についてあまりイメージが湧かなかったため
坊主になっても詰まらんという言葉がずっと気にかかり先のような
質問をしてしまった次第です。
みなさんの回答だと、要は自分しだいということですね。その点、勇気付けられました。

悩むくらいならやめておいたほうがよいという声が聞こえてきそうですが、
やはり、出家というのは人生の一大事、悩んでおります。
179さんや他の在家から出家された方、どのような考え、いきさつがあったのか、その辺を
お聞かせください。


181 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/17 12:23
>>178

> とはいえ、住職になっても、檀家をまわってお経をあげて、戒名つけるだけ、
> 檀家も、お寺にそれ以上求めるものがないというような形骸化した状況に
> 陥ってしまうようでは悲しい、せっかくの人類の叡智である仏教をより魅力的な形で
> 人々に提供できないか、と思うわけです。

それはあくまでも「一般論」でしかありません。
葬式坊主がたくさんいるのと同様、枯淡で素晴らしい境涯を持った老師・住職さんもたくさんおります。
田舎の寺であれば、畑を耕し、できた野菜を食し、植木の剪定を行い、
風呂の薪を割り、「雨・夜・冬」の「三読」時には書物を開き、寺を訪れた壇信徒さんとお話をする。
または自ら文を書き、芥川賞をとってしまったりする人もいる。
寺は自由度高く、自らの境涯をそのまま出せるところです。
だから形骸化するもしないも自分次第なのです。

182 :179:02/08/17 16:31
>180
なるほどなるほど。ようやく貴方の考えておられる事がわかりました。
私も色々あって1年間ほど悩みに悩んだ末に出家しました。
理由についてはこういう場では詳しくは触れたくありませんが、
家庭環境などで幼い頃からずっと悩み続けておりました。
素晴らしい師匠や道友に恵まれ、出家して本当に良かったと心から思っています。

181さんの書き込みにもありますが、出家してからの生き方は本当に自分の心次第です。

私の周囲も「葬式坊主」的な方がほとんどですが、
そういう方々から学ばせて頂く事も沢山あります。
また、禅宗(私は臨済宗ですが)には素晴らしい老師や住職も沢山おられますよ。

そして最も重要なのは、正しい師匠について出家する事です。
弟子になる前にあなたの気持ちをしっかりお伝えする必要があります。
本当に信頼でき、自分の人生を預けることができると確信できる方の弟子になって下さい。

出家するかどうかについて、
「悩むくらいならやめておいたほうがよい」なんて言う人も確かにいるかもしれませんが、
出家するという事はまさに「一大事」ですから、悩むのが当然だと思います。
じっくり考えてみてください。
貴方が、正しく導いて下さる善知識と出会えることを心よりお祈り致しております。

183 :174:02/08/18 10:51
>>181,182

ありがとうございます。
なにかとても勇気が出てきたような気がします。
気持ちをしっかり持ち、かつ言い、かつ実践することが大事ですね。
がんばります。

184 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/08/18 15:37
いいスレですね。
宗旨は禅ではありませんが、近年出家を(ちらと)考えたり
してますので、大いに参考になります。

185 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/09 07:29
>>90
後藤瑞巌…
大学在学中より鎌倉円覚寺の釈宗活老師に参禅。
明治40年(1907)夏、鎌倉円覚寺の釈宗活に隨侍して渡来、布教と宗教研究に励む。
帰国後も常に老師の側近に侍して参究し、大正三年(1914)、その印可を得る。

時代が時代と言えばそれまでだが老師の陰侍のみの七年でドサクサに印可を取った
過去の老師より現存する師家の方々のほうが立派だと思うが…。



あ、嵐山の老師と本町の老師は除いてねw

186 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/09 08:05
匿名で師家を云々。
2ちゃんだなぁ。

187 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/09 09:43
それだけつまらん師家が多いって事だ

188 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/09 11:26
>185
年数長ければいいのか。参禅なんぞ「わかってしまえば」7年も観れば充分だ。
問題は「悟後の修行」だろう。

189 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/10 20:12
「わかってしまえば」7年も観れば充分って言ってる時点で
解ってないってことw。

190 :188:02/09/10 23:27
>>189
185は「『参禅の年数が短いから』『隠侍しかやっていないから』瑞巌老師は駄目だ」と言われている。
しかし、瑞巌老師は本当に駄目なのだろうか。
http://www.tamano.or.jp/usr/kyushoji/gominannte.htm 【直リン失礼】森永→盛永

瑞巌老師は日々全てのものを活かす参究を生涯されていた。これこそ参禅であろう。

「見性した」とあらば野孤禅とならぬようその点検を常に要するが、
隠侍ともなれば二六時中老師に仕え、折に触れそのような機会が随所にあったはずである。
老師もその間瑞巌禅士の日常生活行住坐臥を観続けられ、「印可を与えるに値する」と決心されたのであろう。

私の申す「7年もやれば」とは、決して「見性後の入室を蔑ろにする」の意では無く、
「参究は入室のみに非ず、『常に』『生涯』致すべきもの也」である。

191 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

192 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/11 20:54
あの織田無道が臨済宗建長寺派だったとは。
これ禅宗の恥じゃない?
http://ime.nu/www.sponichi.co.jp/entertainment/flash/20020911102630.html

193 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/11 21:15
恥かもしれんが「そういう人間もいる」というだけの話だ。
自分が肝心だ。

194 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/11 21:21
>そもそも基本的に臨済宗は霊というものを信じる宗教ではなく武家制度の中で武士と共に歩んできた宗教であります 
>ですから私も修行時代に、「道場の館長に霊なんてこの世にはいない、ばかな事を言うな」と言われてきました
>また、今でも他のお寺の諸先輩方からは「未だそんな事をやっているのか、いい加減にしたらどうだ」とも言われます

織田無道HP挨拶より抜粋

195 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/11 21:37
臨済の僧堂、三年行ってもこんなもんか・・・

196 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/12 16:41
織田無道は一年出ですが…。
騒動宗の僧堂ほどじゃないんじゃない?w

197 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/12 17:12
織田無道を放置していた本山(鎌倉建長寺)の責任は大きいと思います。

建長寺は彼の僧籍を剥奪しようとしたことがあるらしいのですが、
「それだけは勘弁してくれ」ということで、無道は本山に数億円単位の寄付をしたそうです。
(「臨済宗僧侶」という肩書きは織田無道にとって無くては鳴らないものでしたから)
建長寺は末寺も収入も少ない「貧乏本山」なので、結局僧籍剥奪は行われませんでした。
それ以来、無道は本山に多額の寄付を収めていたということです。
建長寺は臨済宗他本山だけでなく、日本の仏教界に対して謝罪する必要があると思います。

ちなみに、わしは現役臨済宗坊主です。

198 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/12 17:51
>>197 現役臨済坊主を語るには情報を知らなすぎるな…

建長寺…臨済宗では三番目に末寺のある、まだ金銭的には困窮していない本山ですが?
  

199 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/12 19:48
>織田無道は一年出ですが…。

公式サイトに、
http://www.shipss.com/odamudo/


鎌倉建長寺にて3年間修行
禅僧として厳しい修行を積み、1000以上の檀家の人々の厚い信頼を集め、
現在も精神鍛錬のため、夏は火業、冬は水業を欠かさず行っている。

って書いてあるが、経歴詐称もしてるんか、このお坊さんは。

200 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/12 20:34
>>197
借金取りに追われていたのにどこにそんな金があったんだろう。
その話もあやしいもんだ。

201 :197:02/09/12 20:56
>>198
>>200
それは失礼しました。
自分で確認した情報ではなかったので、間違っていたら申し訳ない。

と言う訳でわしも逝きます。

202 :春秋:02/09/12 23:53
大本山總持寺の板橋禅師は来月下山されます。(身をしりぞくこと)。
金沢大乗寺にもどられたら、参禅のチャンスです。
まだ70才を越えたばかりの、本来はバリバリの大禅者です。

なお、京都興聖寺の植本老師・宮崎老師はすばらしいお師家様です。

203 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/13 00:00
曹洞宗にも参禅があるのですか?

204 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/13 00:08
下山っていうのは失礼な言い方なので、止めましょうね。


205 :とほりすがり:02/09/13 04:12
良いスレですね。大変勉強になります。
自分は特に禅というものをしているわけではありませんが、
弓道をしているため、禅の精神というものに興味を持っています。
日弓連ではないので的当てとは無縁の流派ですが、非常に禅の精神
を重んじているように思えます。
たまに、周りの景色が消えて真っ白な世界で行射しているような体
験があります。
師範に言わせると「絶命の一射」というものらしく、自己の園成(えんじょう)
には欠かせないものらしいのです。
難しいことはいえないのですが、自然を身近に感じたような一射でした。
やはり、禅をされている方はこのような感じでされているのでしょうか?


206 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/13 15:32
>>202
へー、本山の禅師さんって亡くなるまでそこにいるわけじゃないんだぁ。
でもなぜ引退しちゃうの?

207 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/13 17:13
>>202
下山?
退董(たいとう)でないの
あさんは追放だよ

208 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/14 00:04
>>207
まぁ〜山を降りるときは下山という言葉を使ったりするね。
瑞世師も最後は下山の拝をするわけだし。
確かに下山させられた時は"追放"という意味合いになるけどね。

総持寺では梅田禅師も亡くなる前に退董されたし珍しいことでは
ありませんね。

板橋猊下は10月15日の総持寺御征忌の最後の日に退董式を行ないます。
退董後は大乗寺でなく御誕生寺に入られるとか。

今年は選挙がいっぱいあって大変だ!

209 :名無しさん@京都板じゃないよ :02/09/14 00:28
とりあえず、鎌倉の報国寺を勧めるよ。
一度日曜座禅会に参加してみ?

210 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/14 01:21

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211 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/14 07:02
>>210
101Gは必要ないスレだろ。

212 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/15 22:34
>>210
浄髪しなくてもよくなる薬なら欲しいな

213 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/09/25 07:22
age

214 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/02 15:33
だめぽ


215 :護法童子:02/10/02 18:03
群馬県迦葉山龍華院弥勒護国寺ってどうなの?
天狗のお山らしいけど
山岳信仰はいってるんですか?
DQNな質問で、申し訳ないですが、
なんで、禅の僧侶は、雲水って言うんですか?

216 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

217 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/02 23:39
>>215
雲水〜行雲流水(こううんりゅうすい)からきてます。

昔の禅の修行僧は師を探し求めて、行く雲の如く、流れる水の如く、諸国を行脚しました。
悟りを開くために、そして悟りを開いた後も「悟後の修行」といって、今までの修行で得た
悟りを捨ててさらに深い境地へ進むために、次の師を探し求めたのです。

一ヶ所にとどまらず、長年の修行の末に悟って得た境地にも腰を据えない姿を
雲や水に例えたようです。

218 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/02 23:42
ウンを水にする、僧侶を、雲水という。


219 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/04 09:50
少しでも、悟る事が出来れば、将来、悟りが開ける、は本当ですか?


220 :駄レス失礼:02/10/04 21:43
話は全然違うんですが
私が子どもの頃(昭和40年代(笑))住んでいた家の近くに 
祥福寺という禅寺がありました。
毎日 境内はやかましい子供たちの遊び場でしたが
お坊さん達に叱られた記憶もほとんどなく
夏には 若いお坊さんが井戸水を汲んでご馳走してくれたり
時には お下がりのお饅頭をくれたりしました。
私もそれ相当に年をとりましたが
あの頃親切だったお坊さん達は 今頃偉い人になってるんでしょうか。
紺の衣と素足に下駄の精悍なハンサムさんが多かったような記憶です。

221 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/05 16:44
>>220
神戸の祥福寺ですね。
山田無文老師が祥福僧堂師家在任して居られたのは昭和28年〜昭和52年だから
貴方が過ごした少年期はこの辺りだと思われます。
この頃の祥福僧堂で山田無文老師から法を継がれ老師となられた方は

河野太通老師 【現祥福僧堂師家(自分の法嗣が代参していると言う情報も有りますが】
       【前 花園大学学長】(京都)

則竹秀南老師 【妙心寺 塔頭霊雲院住職】(京都)

片岡省念老師 【養賢僧堂師家】(大分)

と三名いらっしゃいます。

222 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/05 23:20
>>221
あの〜、全部で5人おられますけど。
岐阜のセイタイ寺住職の生駒なんとか老師と、
岡山の曹源寺僧堂師家のなんとかかんとかという老師を忘れてないですか?
ま、現在の祥福僧堂はかなり評判悪いようですが。

ところで、この中で一番いい老師はどなたなのでしょう?

223 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/06 02:12
ニューヨークの大菩薩禅堂はどんな感じ?
行きたいんですけど?

224 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/06 03:25
>>222
岡山の曹源寺僧堂って何ですか?岡山にある僧堂って井山の宝福僧堂(現在閉単中)
以外にあるのですか?

225 :222:02/10/06 07:37
>>224
曹源寺僧堂は岡山市内にある臨済宗の道場です。
宝福僧堂というのは初めて知りましたが、曹洞宗の道場ではないですか?
もし違ったらスミマセン。

曹源僧堂には、外国人の修行僧が沢山います(というか外国人ばかりで日本人は1,2人)。
「寺息子の雲水」は一人もいないので、真面目で純真なガイジンさんばかりらしいです。
毎月接心があり(大接心が年に12回とは!)、結構厳しいらしいですよ。

226 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/06 14:06
>>225
調べて見ましたが曹源寺という臨済宗の僧堂はありません。
岡山に曹源寺という妙心寺派のお寺は見つかりましたが。
禅堂があるみたいで外国人の方が多く参加されてるようです。
国際禅堂なら臨済宗では他に京都国際禅堂、神勝寺国際禅堂が有ります。
ただこの禅堂は外国人に限って門戸を開いているわけではなさそうなので
どちらかと言えば在家信者向けの「居士庵」「居士林」や、
雛僧や小僧育成の「禅塾」に近いのではないのでしょうか?

宝福僧堂は東福寺派の臨済僧堂です。
忘路庵岡田煕道老師が昭和45年に開単し現在は閉単という形で
僧堂という名前で残っています。

参考までに
http://www.asahi-net.or.jp/~dj7n-nkn/sodo.html


227 :225:02/10/06 17:54
>>226
うわ、お恥ずかしいです!
寺院名鑑を見たら曹源寺は僧堂ではありませんでした。
しかも、東福寺派の宝福僧堂もちゃんと記載されておりました。
総社市にあったんですね。

無知をさらしてしまった。
すみません!

228 :220:02/10/06 18:10
>>221
僧門とは何の関係もなく なんとなくノスタルジックな書き込みでしたのに
詳しい情報をありがとうございました。


229 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/07 15:05
>>227
まぁ宝福僧堂は小僧寺のノリの僧堂で一代で閉単しましたしね。
ここからは管長や僧堂師家になった人も過ごしてましたが。

>>228
いえいえ、こちらこそ専門的な書き込みをしてしまったようです。
祥福僧堂では今でも貴方の幼少の頃に見た藍染の衣に太巻きを閉めた雲水が
変わらず生活してますよ。

230 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/25 14:55
本当に悟ったお師家さんですか…

そういう評判より人の裏表を見分けられることが自分に必要だと最近痛感致しました。

231 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/10/31 21:57
「裏表」というよりは「相手の素地を見極める」と言った方が。微妙な言い回しの違いだが違う。

232 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/01 07:14
老師なのに人間的には少し異常、っていうパターン多くないですか?
曹洞宗では別に修行ちゃんとしてなくても老師と呼ばれるらしいので注意!


233 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/01 11:11
>>232
「人間的に正常」の概念は?
その基準となるものは何?

234 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/02 10:08
曹洞宗大本山總持寺前貫首の板橋興宗禅師は
退董後、福井県に開山した「御誕生寺」に移られましたが
 あそこはどうなのでしょうか?

235 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/02 19:40
板橋老師は駄目。
名利欲にまみれた俗人だ。
金沢の大乗寺も堕落した寺だ。

御誕生寺に関しても、悪い噂を沢山聴いている。
ここで書いたら俺の正体がばれてしまうのでとても書けないが。

> あそこはどうなのでしょうか?

というのは、何がどうなんだ?何を知りたい?

236 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/02 20:07
そもそも曹洞宗で老師になるにはどういった経由が必要なのでしょうか?

237 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/03 00:44
あのいきなりで悪いんですけど、
自慰とかはもちろん禁じられてるんですか? だったら夢精?
煽りじゃなく、ずっと前から疑問なんですけど。。

238 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

239 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/03 11:31
>>237
カトリックでとは違い、「自慰を禁ずる」という明確な戒律や教義はありませんが、
色欲や邪念に振り回されているようではまともな修行などできませんよね。
当然の事ですが・・・

240 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/03 11:43
>>236
曹洞宗の場合、数年の修行経歴があれば、あとは政治力・財力・教団や本山への貢献度などです。
要するに、真剣に修行してお悟りを開かれた方でなくても、「老師」と呼ばれているわけです。
老師という呼び方は、一種の「称号」または「敬称」のようなものに成り下がっています。

ちなみに臨済宗は、最低でも10〜15年僧堂で修行して、
師家から仏法を伝授されないと老師とは呼ばれません。
こちらも最近ではちょっと怪しくなっていますが...

241 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/04 23:41

ちみが老師になればいい。

242 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 07:02
・・・なりたくない。
しかも漏れは在家だ。

243 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 07:13
>>241

同意。直ちに僧堂を開単して宗風を挙揚してくれ。
在家の老師様もいるから大丈夫だ。

244 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 09:35
>242
なりたくないとは言っても曹洞宗・臨済宗各老師の人間性まで知っているくらいの方なら
相当な修行をされているはず。
是非宗門の為、否世界の為にお力添えを。

245 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 10:14
>>243
在家で老師という概念は有りません。そういう場合は大居士となります。
もし在家で名乗ってる人がいるとしたらそれは野狐禅の類でしょう。

246 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 11:34
>>245

すごい偏見だな

247 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 14:05
>>246
無知ですか?

248 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

249 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 16:25
野狐禅かどうかは君が判定する訳?

天に唾するようなもんだね(藁

250 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 16:44
まあまあ。
だが、245の言う通りだとすると、
不○庵とか人○禅などの老師は「野狐禅の類」ってことに
なってしまうが、それでいいか? >245

251 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 19:44
>>243の言ってる在家の老師ってのはひょっとして人間禅の事言ってるんじゃない?


円覚寺から破門された団体ですが…w

252 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 19:52
なんだかんだ言っても僧堂のシステムは素晴らしいものだと思います。
1・2年で去られたりだらだらと適当に過ごしていた人は兎も角、
真摯に修行された方は皆尊敬されるべき人物になられています。

253 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 20:38
>>245よ、

お前は野狐禅という言葉を使って見たかっただけと
ちゃうんかと小一時間(以下略)

254 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 20:54
>>253
>>251

255 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 21:59
人元禅ってどんな団体なんですか?
> 現在、白隠禅師よりの正しい法脈を嗣いだ8名の師家を有し、
> 全国に13の専門道場をもつ18支部が設立され、本格の修行が行われています。
とかHPに書いてあるけど、かなり怪しい感じ・・・

256 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/05 22:59
252さんへ。
具体的に教えてください。どのへんが「尊敬されるべき」なのか。
知りたい知りたい!

257 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/06 01:55
>>239
律典には「故出精戒」があります。
「故(ことさら)に精を出すことなかれ」つまり自慰の禁止です。
夢精は仕方がないけど、これけっこう重い罪です。

258 :239:02/11/06 19:08
>>257
うわ。知りませんでした。
無知をお詫びいたします。

さあ、今から自慰するぞ!

259 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/09 01:01
創価批判をしている数少ない雑誌「週刊新潮」11/14号の記事に愕然。
小泉首相が「鎌倉市の円覚寺住職から首相就任を記念して贈呈されていた池田氏の写真集
 澄心天籟 を手にし・・・」
小泉は仕方ないにしても円覚寺までも創価に乗っ取られていたのか。

260 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/09 03:56
円覚寺は創価学会と関係があるのですか?
小泉とも関係があるのですか?
本当だったらいやですね。

261 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/09 23:16
本、手元に置いておきたくなかったから首相に押し付けたのでは?

262 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/09 23:54
>>261
だといいな。
創価学会はあっちこっちに送りつけるみたいだからね。

263 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/10 07:11
> 本、手元に置いておきたくなかったから首相に押し付けたのでは?

おいおい、そんなことする円覚寺もちょっとイヤだぞ(w


264 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/10 16:08
>226
曹源寺は現在は僧堂ではないですが、江戸時代には大変大勢の雲衲が居た様で、
禅堂が二つあります。
幕末から明治に住した儀山善来禅師は超有名で隠山派の一翼を担った方で、
太元牧元に嗣法し、相国寺の大拙承演とは法弟になります。
妙心寺523世、後に大徳寺にも歴住しています。
法嗣には、妙心天授僧堂を開単した越渓守謙や円覚寺の今北洪川も居られますが、
後に天龍寺に出られた滴水宜牧が、曹源寺で風呂桶に残った水を無造作に庭に
捨てて、儀山和尚に怒られた逸話は余りに有名です。
明治の廃仏毀釈を撤回させたのは荻野独園や山岡鉄舟などの働きがあったからだ
と聞いています。
言わばこの儀山善来禅師も今日の我が国の仏法には無くてはならなかった方の
お一人だと思います。


265 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/10 16:59
ところで、圓覚寺のような禅寺でも「住職」って言うのか?
俺も詳しくないし、どうでもいいことなんだけど。

266 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/10 17:12
http://alink3.uic.to/user/ranran2.html

267 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/10 19:50
>>265
あそこは臨済宗円覚寺派という一つの総本山だから
館長っていうのが本当だろうが。まあ週刊誌のことだから。


268 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/10 20:22
>>267

> 総本山
= 大本山

> 館長
= 管長

まあ2ch.のことだから。

269 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/13 22:36
館長・・・・・・臨済宗武闘派かと思った。

270 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/13 22:52
>>269
まあ、当たっていなくもない。

271 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/14 19:11
ガ―(゚Д゚;)―ン!!
円覚寺って武闘派だったのか!

272 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/15 08:20
非常に気になる話題があがってる。


273 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/15 22:31
あげ


274 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/17 14:30
藤沢周「サイゴン・ピックアップI」を読んだ当時の感想

「鎌倉僧堂は武闘派・電磁派ミクスチャー道場だったんだ・・・・・」

275 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/17 18:25
サイゴン・ピックアップ・・・あれ面白かった?
まあ、小説だから仕方ないが、無茶苦茶な内容だったな。
鎌倉の僧堂は電波系・鬼畜系か?

藤沢周は建長寺で坐禅した経験があるらしいけど、禅についてはまるでわかってないね。
「無を考える」とか書いてあったような記憶がある。

276 :274:02/11/17 20:53
俺も禅についてはまるでわかっていないが
あの描写は所詮藤沢っちの持つ「イメージ」だから。
現実とのギャップについては考えずして
彼の脳内「イメージ」をトレースする分には面白いと思った。


277 :275:02/11/17 22:35
>>276
なるほどね。確かに。
いちいち現実と比較してたら芸術とかフィクションなんて楽しめないもんね。
でも漏れ的には「ブエノスアイレス」の方が好き。

あ、スレ違いな方向に発展してしもた。
ごめんなさーい。

278 :274:02/11/17 23:57
>>277
俺も「ノスブエ」好き。読むと一気に50歳年とれる。
けどスレ違いですな。ごめんなさい。

279 :参禅者:02/11/28 12:02
品川の東照寺に一度行かれたらと思います。(かなり厳しいですが)

280 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 19:57
何宗の寺?HNが「参禅者」ということは、
そこの住職は老師さんで、室内で独参してもらえるのか?
まさか、ただの坐禅会じゃないだろうな?
ところで、どこがどういうふうに厳しいのだ?
あなたはそこで何を得た?

中途半端な書き込みはするな。
独り善がりな書き込みは迷惑。

281 :野納:02/11/28 20:25
ここも既に荒れ寺のようじゃのぅ。
どれ、納も吹いてみるかの。
管長や師家みたいな怪しげなもんは相手にせんこっちゃ。
迷う事を恐れずに、自分自身でコツコツやりなされ。
間違いないぞぃ。

ファファファ

282 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 20:41
また、臨済がからんでるなぁ。

283 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 21:07
>>282
ん?281の書き込みがか?
そんな事書くのは人間禅か亜流の曹洞禅だろ?
そういうお前は永平寺派?総持寺派?

284 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 21:13
ほらきた

285 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 21:18
>>280
あぁ、>>282の言ってるのは>>280のカキコみたいだよ〜。
漏れも参禅って聞くとつい入室参禅の事を思い浮かべちゃいますが、
曹洞宗では坐禅する事そのものが参禅と言うらしいよ。
まぁ、直に直心に参ずるという意味だと解釈しましょうや。
いずれにせよ、こんな所で禅について語っても意味ない。
興味ある人は、もう動いてるでしょ。

286 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 21:50
黄檗山万福寺はどう。
「ポゼポロミトシンキン」
般若心経を唐音で読むのもよいかも。



287 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/28 23:17
明音ちゃうの?唐音なの?

288 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/29 11:13
人間禅?
亜流の曹洞禅?
永平寺派?
総持寺派?
さっぱりわかりましぇんヽ(;´Д`)ノ
小分けして説明しる。




289 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/29 17:32
判らないことは判らないままが良い

290 :279:02/11/29 18:44
>>280
何宗の寺?HNが「参禅者」ということは、
そこの住職は老師さんで、室内で独参してもらえるのか?
→独参です。
まさか、ただの坐禅会じゃないだろうな?
→年2回接心会で5日間です。
ところで、どこがどういうふうに厳しいのだ?
→接心会に参加してみてください。
あなたはそこで何を得た?
→接心会に参加してみてください。

中途半端な書き込みはするな。
独り善がりな書き込みは迷惑。
→まともな禅寺ということに対する回答しただけです。


291 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

292 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/29 21:28
>>279
でもあそこ、曹洞宗だろ?
どこで修行された老師?
どんな法系なのかな?


293 :279:02/11/29 22:26
原田祖岳の系統です。

294 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/29 22:30
君たち法華経を読んでいる?
道元禅師は法華経を信仰していたそうな。


295 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 10:38
>>279
佛国寺系?
それとも発心寺系?

>>294
へー、そうか。

296 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 17:26
ところで前々から知りたかったのですが、原田祖岳老師は誰の法を嗣いだのですか?
曹洞宗では道元があれだけ臨済禅師を批判した以上、看話禅は認めないはず…。
駒沢が出してる『禅学大辞典』見ると、
一応、原田祖岳は「7歳の時、小浜仏国寺の原田祖道について得度、その法を嗣ぐ」
となってますが、授業師に嗣法するというのは、形式上だと思われます。
それに原田祖道師が看話禅なのだとするとどういう法系なのでしょうね?
調べると、原田祖岳老師は若い頃、伊深で大義祖勤老師、伊藤洞宗老師に歴参していますね。
何年伊深にいたのかは判りませんが、暫暇後、曹洞宗大学林を卒業となってます。
卒業が30歳の時ですから、そう長い間伊深に居た訳ではないでしょう。
5年か、長くても7年くらいですかね。
その後、関東であちこち住職しながらウロウロした後、
何故か当時南禅管長だった高源室に参じたようです。
このように原田祖岳老師は、隠山、卓洲の両方の室内を見た訳ですが、
特に、高源室以降は誰にも参じていないようなので、ひょっとすると高源室の法嗣、
とも考えられなくともないですが、嗣法の香は焚いていないでしょうから、
高源室は印可していないようですね。
ですから、発心寺にしろ、仏国寺にしろ、原田系の禅の内容は臨済禅
の影響が大きいようですが、曹洞禅でも、臨済禅でもない、
どちらに於いてもあくまで亜流でしかないようです。
よく言えば独自のものとも言えますが、まるでコウモリみたいですね。
詳しい方、教えてください。

297 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 17:37
そうそう、そう言えば向嶽寺管長の宮本大峰老師も、元は原田系の方ですよね?
永平寺行った後、正源僧堂、国泰僧堂、広園僧堂、南禅僧堂などに掛錫されたようです。
管長に出られる少し前に、広園寺でお目にかかったことがあります。
本当に腰の低い、柔和なお方だと言う印象でした。

298 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 17:47
匿名で 師家を云々 2ちゃんねる

299 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 18:20
>>298
別に貶してないけど…、お好みなら毀誉褒貶しましょうか?

300 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 18:27
お、釣れた

301 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 19:13
祖○老師は誰からも印可を受けてはいないよ。
> どちらに於いてもあくまで亜流でしかないようです。
まさにその通り。
亜流が必ずしも悪いとは思わんが、今の佛○寺や発○寺の様子を見ると、
臨済でも曹洞でもなく、一種独特なカルト臭を漂わせている気がする。
今の佛○寺や発○寺の老師も、臨済の法を正式に嗣法するほどちゃんと公案やってないみたいだし。

「看話禅」といいつつも、実際には臨済の室内のような体系的な公案を用いた参禅ではない。
佛○寺で参禅した人達はなぜか皆室内の事を喋りたがるが、「???」という感じの内容。

祖○老師の法を継いだという現在の佛○寺の老師は、
「坐禅しても悟れない者は、坐禅して功徳を積んでおけば来世で悟れる」
という意味の事をいつも言われてるらしい。

「 来 世 で 悟 る た め の 坐 禅 」 っ て 一 体 ?

302 :そんなこと言い出したら:02/11/30 19:18
白隠だって、自分で「こんなもんじゃないかなー」
で一応悟ったって事にしてるし・・・。
禅の法脈自体イカガワシイじゃないの!
ナニガ悟りだよマッタク(w

現在いる臨済の管長クラス師家でも見性体験ナイヨ〜ってキッパリ言う人いるよーん♪

303 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 19:28
井戸の中でお話ししていてください。

304 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 20:05
>>303
ここが井戸だから話してるんじゃない。(藁)
判ってる相手にはこんな話はしないさ。
ここに巣食う半端な居士が自分が知ってる狭い了見だけで伝統的修行や接化を批判するのは、
脈々と伝わる生きた仏法を知らないからに過ぎない。
また、そういうところを垣間見た者だからこそ、多少の良し悪しを愚痴めいて言うだけのこと。

305 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 20:15
>>302
前の西宮さんはそうでしたね。
私、この耳で聞きましたもん。

306 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 20:16
>>304
>伝統的修行や接化
>脈々と伝わる生きた仏法

うはは。はずかしくねが?
狭い了見で見ただけでダメ〜の烙印を押される方に問題があるんじゃないか?


307 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 20:19
>>305
あ、やっぱり?(わ
でも、ほかにもいるよん。
本人がいってるんだから間違いないよ(わ

308 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 20:29
>>306
全然〜♪あんた可哀想やな。逆縁しかなかったんやな。気の毒に。

>>307
へ〜、だれだれ?

309 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 20:36
>>301
>まさにその通り。
>亜流が必ずしも悪いとは思わんが、今の佛○寺や発○寺の様子を見ると、
>臨済でも曹洞でもなく、一種独特なカルト臭を漂わせている気がする。

やっぱりそう思います?
私も広島の少○窟のHPとか読んで、これはおかしいと感じてました。
飯田トウ隠老師とかはちゃんとしてたようですがね。

310 :>>308:02/11/30 20:52
あ〜っ
口調が変わったー(わ
強がるなよー
いいこいいこ^^

あんたがレッテルに弱い人間だってことは、よくわかったから
つよがるなよ。

311 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 21:36
>>310
別に強がってはいないけど〜。まぁいいや。
勿論私はブランド(レッテルって言い方は死語だろ(^.^))に弱い凡夫です〜。
でも本当に有り難いなぁ〜、と思うよ。実際。
まぁ、自分だけ有り難い日暮らしをさせて頂いて申し訳ないけど…。
受業師の老師や僧堂の老師のみならず、様々な老師方や様々な先輩、同輩、
後輩の方々に、本当に良いご縁を頂いて今日があるのだと痛感しています。
まだまだ捨てたもんじゃないですよ。
ただ、落ち目は落ち目が集まるし。そういう事って世の中あるんですよね。



312 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 21:56
>>311
(;´Д`)きも。

313 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 22:17
>>312
青原白家酒三盞喫了猶言未沾唇


314 :301:02/11/30 22:25
>>309
出た!少○窟!
極め付けですね。
飯田○隠老師は確かに凄い方だったらしいが、今の老師は無茶苦茶。
あそこでは坐禅の最中、一呼吸毎に身体を左右に大きくひねって背中の凝りをほぐします。
「動中の工夫と静中の工夫を同時に行います」だって。「背中の凝りは坐禅の大敵です」だそうだ。
ふざけるな!そんなどっちでもない中途半端な坐禅で、禅定に入れる訳ないではないか!

実は、老師が交通事故に遭って以来背中が痛くてじっと坐禅できなくなって、それからそう教え始めたそうだ。
大酒飲みで何度も入院してるし。

315 :301:02/11/30 22:31
>309
ちなみに、少○窟の井上希○老師は、原田祖○老師の教えにはかなり否定的です。

316 :あはは。:02/11/30 22:35
私もその酒はサンザンいただいたが、あんたみたいに酔っ払ってないよ。
今の宗門みてみろよ酷いのがゴロゴロしてるぞ、それでもヌルイのがお好きならせいぜい勝手にゴエンのアリガタサをツウカンしやがってくださいだ。


317 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 23:34
>>316
おやおや、少林窟一派のご登場ですね。
しかし、少林窟を代表して書き込むからにはもっと品位のある文章書いたらいかがですか?
希道老師がお泣きになりますよ。

少林窟関係者は、「宗門はヌルイ!」とか散々吠えてますが、そんな二元対立的などうでも良い事にこだわって対抗心燃やして「本物づら」してるところが悲しいですね。そんなのどうでも良い事です。
宗門にも立派な老師さんもいれば、真摯な修行者もいるのです(ごく少数ですけどね)。井上希道の禅だけが真実だと思ったら大間違いですよ。
あ、そうそう。あなた方が「ヌルイ」と言われる宗門の禅堂というのは、少林窟のようにストーブ持ち込みでは坐禅しませんので、覚えて置いて下さいね・・・

それ以前にあなたたちは一種の「カルト」であることを理解しなければいけませんね。
飯田老師の教えと井上老師の教えの違いを理解しておられますか?今の少林窟の禅は、あくまでも「井上希道の禅」であって、非常に特殊で異質なもの。飯田老師や大智老尼の教えからかなりズレて勝手な方向に進んでいるのをご存じか?

ところで、あなたは臨済禅師や道元禅師その他の祖師の書かれた語録などを読まれた事がお有りですか?
確かに修行が第一ですが、もっと広く深く禅について学ぶ事をお勧めします。

HPもかなり怪しい。あのオバさんが書いた本を宣伝してるが、あなたあの本読みましたか?
あの方も少林窟で修行されたらしいですが、噴飯モノの内容でしたよ。あれが少林窟の禅ですか?HPででかでかと宣伝しているくらいですから、きっと老師も太鼓判を押されているのでしょうけどね。

少林窟で出している参禅記も全部持っていますが、みなさん「自分は悟ったのだ!」と思い込んでいる人ばかりではないですか!
しかも、「井上希道老師は最高だ!尊いお方だ!真の禅僧だ!」などと褒め称える内容ばかり。辟易します。
まるで創○学会と同じですね。自分を絶賛する内容の文章ばっかり自分で編纂して本にして、恥ずかしくないのでしょうか?まともな禅僧のやることではありません。

318 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 23:42
なんだ、今日はやけに禅スレが伸びてると思ったら……

野狐さん達が吠えてるだけか。




319 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/11/30 23:43
>>316
>今の宗門みてみろよ酷いのがゴロゴロしてるぞ、それでもヌルイのがお好きなら
>せいぜい勝手にゴエンのアリガタサをツウカンしやがってくださいだ。

宗門内にいるか宗門から離れているかなど関係ない。
真剣に道を求める気持ちがあるかどうか、見性する気があるかどうかだろ?
たしかに宗門内には酷いのもゴロゴロしてるが、そんなのは最初から問題外なんだよ。
自分だけが本物、他は全て偽物、と教えるキドウ老師と、それを真に受けてどんどんカルト化してゆく参禅者も十分イタイと思うがなあ。

ところでおまえは少林窟関係者の中にゴロゴロしてる「酷いの」の一人か?
俺が知っている数人は、狂信的で傲慢で鼻持ちならないのばかりだぞ(藁
少林窟以外の事など何も知らないのに、宗門の批判ばかりするし。
井上老師が全部吹き込んでるんだろうな。
自分たちだけが真の修行者だ!って感じ。
でも、そんな差別心がある時点で大した修行していないのがバレバレ。

あんな風になるのだけはイヤだな。

320 :316:02/11/30 23:53
アタタ><
勘違い君でつか
私は少林窟なんて貧民窟しりません(;´Д`)
でも、今禅の宗門が抱えている問題は二元対立的などうでも良い事じゃ無いのはあなたでもわかるでしょ?
●林窟に限らず概ね何処の本山にも酷いことがまかり通ってるのは明らかじゃありませんか。
あなたもプロなら、いちいち名前をあげて言わなくてもしってるでしょ?
それと、わたしは寒いところで座ってるからエライとか言うのはヤメテ下さい。
寒くてエライならイヌイットは超エライです。

321 :316:02/12/01 00:00
>真剣に道を求める気持ちがあるかどうか、見性する気があるかどうかだろ?
だから、最初に今現在師家になることと見性体験とはイコールじゃない事を言っただろ。


322 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 06:43
>>316
まぁ、居士のあなたの憤りも判りましたが、自分の本分で頑張りなさい。
心配してくださるのはありがたいが、他所の家に口出しするのはお節介ですよ。
こちらは私達でしっかりやっていきますから、まぁ二十年後を見ててください。

323 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 07:51
イヌイットは超エライと思う。

324 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 09:05
>まぁ、居士のあなたの憤りも判りましたが、自分の本分で頑張りなさい。
>心配してくださるのはありがたいが、他所の家に口出しするのはお節介ですよ。
>こちらは私達でしっかりやっていきますから、まぁ二十年後を見ててください。

無道心のお手本みたいな坊主ダネ。
あんたのオサトもしれてるよ。(わ



325 :317:02/12/01 09:06
>私は少林窟なんて貧民窟しりません(;´Д`)

爆笑してしまいました。
勘違いしてスマン。

>それと、わたしは寒いところで座ってるからエライとか言うのはヤメテ下さい。

いや、「ストーブ云々」はそういう意味じゃないですよ。
温暖なところで修行しようが極寒の地で修行しようがエライとかエラクナイとか全く関係なし。
ただ、坐っている最中にまで「寒い」とか「暑い」とか気にしているようではいけないという事。
暑いなら暑さに、寒いなら寒さになり切るのが坐禅でしょう?

気負って書き込んだレスを翌朝読み返す時のイタさって格別ですね。
316に対する勘違いが無かったとしても、我ながら恥ずかしい。

>319
実は私も、ある少○窟関係者にうんざりしている者です。
わずか数日間滞在してきただけで「私は悟った!」と言いふらしてます。
「他の禅は全てニセモノだ。我が希○老師だけがホンモノである。よって私もホンモノである!どうだ凄いだろ!」
というような事ばかりうるさく宣伝するので、困ってます。
なるべく関わらないことにしていますが、向こうからやって来て自慢話。ああウザい。

>323
禿同。

326 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 10:29
>>324
そうだね。
自分の事の大切さに比べたら、人に対する配慮なんて僅かでしかないもの。
あなたの言う通りだよ。
ただまぁ、今日も各僧堂では老師様や雲水達が骨折ってやっておる。
それは事実で尊いことだ。
まぁ、口の減らないあんたなら色々と言うことあるんだろうけど、
あなたがココにカキコできるのも、祖師方のお陰と言うことだ。
思い上がって、天に向かって唾を吐くような事のないように。
我酔欲眠君且去 明朝有意携琴来

327 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 11:06
>ただまぁ、今日も各僧堂では老師様や雲水達が骨折ってやっておる。
>それは事実で尊いことだ。
>あなたがココにカキコできるのも、祖師方のお陰と言うことだ。

おまえも、カルトか?
当たり前のことをやっててナニが尊いんだ?
人様より上等になったつもりか?
お前みたいなのが「本物ズラ」した偽坊主だって言ってるんだ。
修行しなおしてこい。

328 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 12:22
>>327
当たり前のことを当たり前にやることこそ尊いことです。

329 :↑ひとの受け売りか。:02/12/01 12:42
アフォはだまっとれ。 いじょ。

330 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 14:00
禅のスレなのに、昨日からキモイ人たちが盛り上がっています!

331 :(´,_ゝ`)プッ:02/12/01 16:46
>>330
オツにすましてりゃイイってもんじゃないぞ。
一句持ち来たってドンドン煽らんか。

332 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 22:24
今の時間は総参か・・・・・がんがれ。

この暖かい部屋でラーメン食べながらテレビ見ながらおまいらを応援してるぞ。

333 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/01 23:16
見苦しい戦いがみたいぞ
age

334 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/02 07:07
て優香、煽りがレベル低過ぎて全然面白くねえ。
煽るならもっと上手くやれよバカ。

335 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/02 07:09
>>334
ここらでいっちょ、おまいさんが「煽りの真髄」っちゅうやつを見してやり。

336 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/02 07:13
朝からくそスレに相応しい方たちですね!

337 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/02 10:00
>>336
ナイス煽りです。
しかし「相応しい方たち」と言うに2人だけじゃちと事例に乏しいな。
というわけで、58点。

338 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/02 10:28
自作自演、見苦しい。

339 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/02 11:54
一匹しか釣れないか(わ

340 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/03 20:34
>>339
禅ゴッコもっと見せて

341 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/03 21:34
大人げないね。
ちょっと知識あるからって偉そうにすんなよ。(´・∀・`)

342 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 08:59
大人げないね。
ちょっと知識あるからって偉そうにすんなよ。(´・∀・`)


343 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 10:07
↑ 最近禅スレはこういうヤツばっかだな・・・・

344 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 12:00
↑ 最近禅スレはこういうヤツばっかだな・・・・

345 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 12:12
「まねすんな」

346 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 12:14
ワラタ

347 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 15:25
俺もコピペされちゃったよ。ひゃぁ〜〜!

348 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/04 16:04
ご愁傷様でし

349 :(;´Д`):02/12/04 18:43
ちとやりすぎたか。。。
わたすがわるぅございますた。
反省。

350 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 11:25
やっぱりココは魑魅魍魎がボッコしてる不毛な所だね。
折角釣れてもらったが、私の居場所ではなさそうだ。
皆さん社会が悪い、坊主が悪い、宗門が悪いなんて言わないで、
自らが社会であり、宗門である事を忘れずに。
外に求めてばかりいると、池田小学校の犯人みたいになるよ。
求むるは皆苦なりだ。
如今学者不得病在甚處 病在不自信處

351 ::02/12/05 12:02
ボッコ    ×
跋扈(ばっこ)○

0点やりなおし。

352 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 12:19
>>351
釣られたな(p

>>350
自らが魑魅魍魎であり、不毛である事を忘れずにね。

そんな漏れは飯袋子かな・・・

353 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 13:40

ボッコちゃん・・・・・

354 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 13:41
ボッキたん…

355 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 13:45
悪の花   三井住友

     http://www.page.sannet.ne.jp/pepetaro/

356 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 19:24
三井住友膝ガード

357 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/05 19:25
膝ガード
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!


358 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/07 23:08
無明庵EO『真夜中の禅寺』読んだ人いる?
どう読みました?
個人的見解としては、けっこういいとこ突いてるような気がしたけど。

359 :65:02/12/08 10:55
>358
これだろ?
http://www.rose.ne.jp/~mumyouan/i3.html
http://www.mumyouan.com/
こんなの、禅でもなんでもない。ただのニューエイジ崩れ。
「自殺肯定・自殺の自由化」だとか「比類なき性の実技指導・高密度のSEXマニュアル」だとか、
きわめつけは「忍者セラピー」(爆)。「禅師に変身したEOが闇夜に吠える」というのもある・・・

HP見ただけだが、どこからどう見ても基地外だね。
とりあえず、臨済宗・曹洞宗などの禅と同じ土俵で語るべき対象ではない。
「心と宗教」板で語るべし。完全に板違い&スレ違い。
358は、変な本ばかり読んでちゃいけないよ(藁

360 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/08 10:58
( ゚д゚)ポカーン


361 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/08 11:06
>>359
広告にマジレス。 おつかれさんどす。

362 :359:02/12/08 20:59
広告じゃないよ。
359が取り沙汰したものには、興味ないしあまりよく知らない。
枝葉なんじゃないかな。
EOが死んでから(ほんとに死んだか知らないけど)出てきたもんじゃない?
それらは眉唾だと思うし、どうでもいい。


363 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/09 06:57
枝葉と言っても、同じ人が書いてるんでしょ?

で、あれ書いてるEOってマイコーのことですか?
それなら読みたい(藁

364 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/09 07:00
EOの話題は心と宗教板でおながいします。
激しくスレ違い&板違いとおもわれ。

365 :358:02/12/09 14:29
362は、358です。
そうですか、板違いですか。
そうかなあ、まあいいけど。

最後に、素朴な疑問。
なぜ、この板の方はEOを嫌うんですか?

366 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/09 16:12
>>365
寄生宗教団体、、、モトイ既成宗教団体の方たちは自分たちの経済活動以外の事には関心がないからであります。
DQNをこれこれこうだからDQNなのれす。
とかつっこんで理論展開していると自分の首も一緒にしめちゃいますから、なにかとご縁を有難がったり勿体つけていい子ぶっとけば穏便に事がすむからですね。
既成宗教の問題点がまるだしですね。
彼らがダラシナサ過ぎるから、カルトがのさばるのだとか言う人も多いですね。
困ったもんですな。

367 :358:02/12/09 20:00
>>366
なるほど。

368 :名無しさん@京都板じゃないよ:02/12/11 07:38
366のような奴こそ自分の権利ばかりを主張する社会の寄生虫だと思われ。
何かといえば社会保障を求め、行政その他、ある種社会的権力に対し、
自己の権利を拡大する事が生き甲斐。
こういうヤシに限って、国民年金は貰えないから払わなくても良いなどというDQN。

369 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/21 02:48
ところで禅宗って仏教なの?
経文を全て否定した時点で仏説を用いない宣言じゃないの?
達磨大師は壁面を見ているうちに、血行障害で手足が壊死したもんであの姿。
それが真実でしょう。
いいかげん本音を喋ったら?非仏教ですって。

370 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/01/21 06:14
(((ゆんゆん)))

371 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/04/27 23:41
禅の悟りは一種のイリュージョン。
あのう、私が思うに禅というのは天才のための道だと思うんです。
10万人が禅をやって一人くらいが悟りに入れるように思うんで、
やたらと禅をやれやれと宣伝すべきでない。あとの普通の人間はもとの木阿弥。
それどころかもとより悪い人間になるんじゃないか。何かそういう
毒素みたいなのを禅というのはもってるように思いますね。
禅宗の坊さんに随分会いましたけれども、何人かをのぞき、これは並以上の
悪い人間じゃないかと思うことが多かったです。

372 :山崎渉:03/05/28 14:42
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

373 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/17 22:36
このサイトを整理すると、こんな感じなのでしょうか?
1、立派と評判な人、寺
@原田祖岳老師、無文老師、盛永老師…但し死者?
A妙心僧堂の雪丸老師
B霊雲院住職の則竹秀南老師
C南禅僧堂の老師
D野火止平林寺の老師
E少林窟道場の飯田老師、大智老尼…但し死者?
F犬山の瑞泉僧堂の玄々庵老師
G妙心僧堂の雪丸老師
H鎌倉円覚寺の居士林、円覚僧堂の横田康岳老師、
I相国寺僧堂の田中老師
J静岡の方廣寺
K京都興聖寺の植本老師・宮崎老師
L鎌倉の報国寺

2、今一歩
@発心寺、原田雪渓(無見性?)
A無妙庵(2チャンネルで評判悪い?)
B花園大学前学長河野太通(管長狙って学長辞めた?)
C大乗寺、御誕生寺、(最近は堕落、悪い噂)
D祥福僧堂(現在の評判悪い)
E曹洞宗の道場全般(緩いし乱れている…但し、除く田舎の寺)

3、駄目、俗人、偽者
@平田晴耕(妻帯、子を優遇させた親馬鹿)…死者?
A少林窟道場、井上希道(パフォーマンスだけ)
B相国寺の有馬管長(老師、師家でない、妻帯)
C総持寺の板橋老師(名利欲にまみれた俗人)
D人間禅(円覚寺から破門)


374 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/17 23:18
人間禅はダメですか?

375 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/17 23:37

   燃料としてはイマイチだな、禅ヲタくん。

   看脚下。
 



376 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/06/18 23:00
意味わからん。

377 :SOUND_BY_坊主:03/07/12 21:15
hage

378 :山崎 渉:03/07/15 12:58

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

379 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

380 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/07/24 13:18
海綿体に血液が流れ込み陰茎が隆起age

381 :ぼるじょあ ◆yBEncckFOU :03/08/02 03:01
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ

382 :SOUND_BY_坊主:03/08/03 13:46
hage

383 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/04 07:19
>>373
原田祖岳は臨済・曹洞通じて、DQNで通っている人だけどもな。

384 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

385 :徒弟。:03/08/07 23:48
正法に臨済も曹洞もないじゃないか。
いい加減お釈迦さんに帰ろうよ、お釈迦さんの視線で見て、
お釈迦さんの頭で考えようよ、、、っていうのが
立派な先輩たちの考えなんじゃないかと思ったりします。
せっかくみなさん仏法に出会えたんだから、
仏法で貫きましょうよ、万里一条鉄ですよ。
師家を誉めたって貶したってしょうがない。
禅寺ならどこだって多少は祖師の遺芳が残ってるもんですよ。
住職が煙たそうにでもしてなければそれで上等じゃないですか?


386 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/08 08:38
>>385
そのとおり。

387 :名無しさん@京都板じゃないよ :03/08/08 21:05
>385
しかし、正師は大事だ。
正師をうるさく言うのは禅宗だけではないか。
禅は釈迦以来の公宗であるともいう。

仏法で良いのなら幸福の科学とか創価学会もそうかもしれん。

>禅寺ならどこだって多少は祖師の遺芳が残ってるもんですよ

これはもっとも。その通りですな。

徒弟さん、良い和尚さんになられてください。期待してます。


388 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/10 11:08
駄目な、つーか、突き抜けてない師匠でも、伝統から外れてなきゃいいんでないかい?
突き抜けてない上に、独自路線を主張するようだと( ゚д゚)マズーなわけで

もっとも、突き抜けたが故に独自路線なのだと主張する師匠が多いみたいだが(。听)

389 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/08/11 16:40
禅ねぇ・・・
もっと悩むことから始めなさい。

390 :山崎 渉:03/08/15 18:04
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

391 :SOUND_BY_坊主:03/08/31 11:53
hage

392 :名無しさん@京都板じゃないよ :03/09/04 12:52
禅宗の尼僧を目指す女性の奮戦記です

http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/973182911/201-300

393 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/08 15:38
まともな禅スレ、というか、カキコが活発なスレってないのかな。
どこもすごい閑散としてるんだけど・・・。


394 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/08 16:03
不立文字が伝統ですから・・・

395 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/08 23:43
>>394
やっぱり?

396 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/10 00:57
禅僧が2chに入り浸っていたらそっちの方がどうかと・・・

397 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/10 07:17
>>396
2chに入り浸ってる真宗僧侶は多いけど

398 :玄奘 ◆sAnZoPXm2A :03/09/10 12:25
・・・。

399 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/09/10 22:20
真宗は自力をアキラメテルから2chもOK。

400 :たかやん:03/09/26 22:05
うーん。それで、この板に書き込んでる人の中で、この人はほんものってのに遭遇した人はいなんでしょうか?

401 :かずお:03/09/27 17:46
原田雪渓、井上希道、川上雪担、守時道林・・敬称略

402 :たかやん:03/09/28 14:31
簡潔なご示唆ありがとうございます。見当してみます。

403 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/14 23:39
座禅するときって目つぶってます?

404 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/15 12:18
はい?

405 :SOUND_BY_坊主:03/10/16 13:05
はぁ?

406 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/16 19:48
>403
普勧坐禅儀を一度ちゃんと読み直せ。

釣りかな〜と思いつつ、マジレスしちゃう自分に鬱・・・。


407 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/17 04:14
普勧坐禅儀には「眼はすべからく常に開くべし」って書いてますね。
禅苑清規の坐禅儀には黒山の鬼窟云々というのを引いて
眼を閉じるのを戒めてる。
でも、同じ永平祖師の著作なら、弁道法に早晨の坐禅は
『慣れてて眠くならない人ならば』眼を閉じても良いと
書いてたような気がしますが。
>406
軟語軟語



408 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/17 07:39
>>401DQN決定!キモイ香具師ばかりやん!

409 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/18 00:01
>>406
永平寺別院で座禅したとき、それ音読(読経?)したよ

410 :409:03/10/18 00:01
ちなみに俺は>>403じゃないぞ


411 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/18 10:54
>407
『宝慶記』で如浄さんの説を紹介した場面でしょ。

要訂正

412 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/18 17:34
『普勧坐禅義』は『坐禅義』読むことを勧めた本。
全ての『坐禅義』の元である『天台小止観』を読めば判る。

413 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/19 09:36
>>412
形式的にはそうなのだが、唐代以降の禅の展開は『天台止観』の範疇に
収まりきれなくなり、『普勧坐禅儀』はそのことがあるのであえて撰述
されている。

天台にしても智者大師は最初『禅波羅蜜次第法門』を作り、その後
「禅」から「止観」への転向?があり、『円頓止観』への表詮となった。

智者に於てどうして禅でなくて止観となったのか、誰か研究してくれ〜
といって亡くなった学者さんがいたが、その後誰もやっていないようだ。

『天台小止観』というのも通称で、たしか禅波羅蜜...の簡易実践法とし
て作られたものでしょう。。。あれは。

414 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/20 09:36
>>413
詳しいですね。
いかんせん、私には仰っている意味が理解し難くちょっと質問です。
それと自分で「小止観を読めば判る」と書いておいてなんですが、
『小止観』を点検したところ「次に当たって眼を閉じる、纔に外光を断ぜ令むのみ」
とあり、これは所謂「半眼」状態とそう違わないと思います。

唐代以降の禅宗の展開が教宗の範疇に収まりきらなくなったという事には
異論無いですが、『普勧坐禅義』に『天台小止観』を越える、或は異なる
新たな見解が示されている様には思いません。
むしろ坐禅方法指南書としては『天台小止観』のほうがより詳細であるよう
に感じます。
『普勧坐禅義』もその他、臨済で用いられている『坐禅義』(『百丈清規』の
元代再編本『勅修清規』より抜粋)と同様、目的は簡易な坐禅法指南書であって
それ以上でも、それ以下でも無いと思います。
ちなみに件の眼のことについて臨済の使う『坐禅義』では、「目は須らく微しく
開いて昏睡を致すことを免れるべし」とあります。

ところで止観と禅定(静慮)の相似点と相違点について、教えていただけると幸甚です。

415 :自己レス:03/10/20 10:06
自分で書いておいてなんですが、>>414の二点に誤りを認め訂正します。
先ず一つは、止観と禅定の違い云々ですが、『小止観』の中にも禅定に対する
記述はあります。
『小止観』では止観とは方法であり、禅定とは止観の結果であり、及び修行者の
状態であるように描写されています。
『小止観』では「正しい禅」と「邪まな禅」も説かれており、また坐禅止観する
功徳により、「念仏」(この場合はただ口称念仏では無く、観想念仏を指すと
思われる)による三昧が起こってくるという記述もあり興味深いです。

次に、「『普勧坐禅義』に『天台小止観』を越える、或は異なる新たな見解が
示されている様には思わない」という私の記述ですが、これは間違いですね。
一言でいえば、頓悟と漸悟の立場の違いがありますね。
『小止観』はあくまで止観は方法論なのに対し、道元は「所謂坐禅は修禅に非ず、
唯是安楽の法門なり、菩提を究盡するの修証なり」という修証一如の立場を
説いていますね。臨済の『坐禅義』でも「坐禅は安楽の法門」とは説いていますが、
道元ほど徹底してはいません。そこが『普勧坐禅義』の独自な所だと思います。


416 :名無しさん@京都板じゃないよ:03/10/27 00:22
>>414-415
一つには「禅」という言葉について問題となります。禅という言葉
には多義があることは天台典籍でも述べられます。

マッジマ・ニカーヤでは釈尊が正覚を乗じた時に四禅の位にいた
ことを、数ヶ所で言明します。
後のアビダルマになりますと教学が発展して、四禅は色界の定と
しての位置付けになり、低く見られます。これにともない禅(Dhy
Ana, jhAna)という言葉自体あまり用いられなくなり、特にサン
スクリット系では、yogaやsamApattiの語が用いられるようになり
ます。
つまり問題は禅というのは修行方法なのか、あるいは修行方法の結
果得られる境涯・境地なのかということ。
そしてそれを調べると存外、禅についての言及はなくyogaの使用
が支配的なのです。そこで中村先生などは、釈尊の禅定が仏教教
団内で、さとりへの階梯として分類され位置づけられ、四禅説と
なった、というような発言をされていたと思います。ここでは四
禅は境地と受け取られていると見て好いと思います。

417 :つづき:03/10/27 00:23
そこでyogaの語はどうかといいますと、釈尊よりもやや後代のタ
イッティリーヤ・ウパニシャッドやカタ・ウパニシャッドに語ら
れているのが有名で、ここでは「感覚の統御」の意味とはっきり
述べられております。もともとはこうしたヨーガの類は、私たち
は外界の対象を正しく把握できず、またそれに踊らされているの
で、感覚を制御して踊らされず、またも物事を正しく知覚し正し
い判断する、といったために行われました。この意味で閉目の坐
禅というのは、方法の中の一つとしては存在することが許されま
すが、開目が基本とならなければならないはずです。

話を戻しまして、ではdhyAnaはどうかといいますと、仏教にも影
響を与えたといわれる仏陀より以前のチャ−ンドーギヤ・ウパニ
シャッドに用例があるのが認められます。


418 :つづき:03/10/27 00:24
そこでは

 禅とは心(思考)よりすばらしいものである。大地が禅思するがごとく、
 虚空が禅思するがごとく、天空が禅思するがごとし。水が禅思するがごとく
 山々が禅思するがごとく、神々や人々が禅思するかのように。それゆえに
 この世界において人々の中に貴きを達しうるならば、禅の恩沢を受けるが
 ごとく見ゆ。
 (禅思は禅の動詞形。適当な訳語が思いつきませんでした)

となっており、これで充分かと思います。禅はもとは√dhIで、考
える、思慮するなどの意味ですから、「心」が比較の対象として
取り上げられます。原文はcitraですので心というよりは、本当は
人が「思い描く様々なこと」です。ここでは禅思によって得られ
た禅という安住の境地は、大地が禅思したかのように不同のもの
で、虚空が禅思したかのようにとらわれのないもので、水や山が
そうであるように、人界中に尊厳なるものとして自己を見いだし、
そのようにあり得ることができることを謳います。禅とはyogaの
ように感覚を統御した時に得られる境地であり、その上で用く偏
りのない智慧であるとも言えます。
実際にdhIという語は、インドの仏教以外の他宗教では、智慧とか
知覚の意味で用いられる語でありますし、仏教内ではprajJAが他
宗教では得られない智慧とされますが、中には音韻が同語であわ
ない場合、dhIが代用されている例がありました。

419 :つづき:03/10/27 00:25
それを例えば天台大師智リは押さえております。摩訶止観ではし
ばしば境智が境智不二というような形で強調されますが、これは
感覚が統御されて、私たちの対象世界と「智・知」(つまり心の
表象とそれを捉えている私)が、煩悩に礙えられないで的確に用
いているということだと思います。

禅宗では「事に触れずして知り、縁に対せずして照す」とします。
こうした点は9c〜12cに台頭するハタヨーガでは一種の超能力嗜好
になり、失われていった側面です。

智リの著述では禅は主に四禅として用いられるだけのようで、こ
こで禅は境涯として取り扱われています。湛然などを中心にして
よめば、禅定による境涯を最初は説かれたのだけれども、後年は
そこにいたる修道論、つまり「止観」を解き明かした、というこ
とになるようです。止観は瞑想の方法です。ただ南方仏教になり
ますと「止」は修だけれども、「観」は果である智慧に属すると
定義されていることを付け加えておきます。

『普勧坐禅儀』については長蘆宗頤の坐禅儀に対して道元禅師自
身が撰述由来で、「(百丈の古意と比較して)多端の誤り有りて、
広く埋没の失有り」と言っております。これを述べるには澄観が
般若三蔵などと親しくして密教を含む当時のインド仏教を学び、
宗密が禅宗を最上乗としてゆくこともからんできます。すでに大
分長くなりましたのでこの辺でやめておきます。

420 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/01/13 01:00
誰もいない…

421 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/11 22:25
いえ、わたしがいます

422 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/29 18:44

今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 又七の海 鈴木大拙
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1078045263/

423 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/02/29 22:32

今夜の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 又七の海 鈴木大拙
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1078045263/

424 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/09 01:12
岐阜の瑞龍寺てどうですか?興味があります。

425 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/09 05:57
 よく禅宗では「死後の世界はありえない」
とかよくいいます。しかし釈尊は因果の法、そして輪廻の存在
に気付き、それが仏教の原型になったはずです。であればそのことを
否定するかのような禅宗関係者は釈尊の説法と相容れないのではないでしょうか?
 宗教と哲学の違いというのは人間を超越する存在それは「天」であったり「神」
の概念が宗教にはあるということでしょう、実際釈尊は死後を否定したわけでなく
深くとかなっかただけとあります。
 さらに「イタコ」で有名な恐山、天狗信仰の可垂斎、霊験あらたかとされるあの
陀桔尼真天の豊川稲荷などは曹洞宗です。これらはあきらかに今の禅宗の教義と乖離
してます。
 これらのこと禅宗のかたはどう考えておられるのですか、お聞かせください。

426 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/18 20:10
子供の頃から異常に集中力と自制心がなくてマトモな生活がおくれない者なんですが、
集中力をつける為に禅を教えてくれる禅寺はありませんか?

427 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/03/19 07:12
>>426
坐禅でなきゃ嫌だというのでなければ、自律訓練法もいいですよ。
ググればやり方書いてあるHPあるし、坐禅より手軽。

428 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/02 02:37
>>426
ADHDでは?

429 :407:04/04/10 03:14
>>411
確かにそうでした。私の記憶違いです。
弁道法には「切に忌む眼を閉づることを、眼を閉づれば昏生ず。頻頻に眼を開けば微風眼に入りて昏容易に醒む。」と出ています。
これは起きがけの坐禅の注意なので一般的じゃないかもしれませんが、
やはり眼は開くか半眼が常法のようです。

前に行った臨済宗の●覚寺では、(雲水は睡眠時間がなくて眠いので)眼をカッと開いて坐っている、とのことでした。

永平祖師の門下では経論に書いてある坐禅法も同じように尊重しますから、半眼が一番良いんでしょうね。
睡眠の足りないのは坐禅のさまたげだともいいますし。

430 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/10 10:38
臨済宗の寺っていいよね
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1073238633/


芥川賞】「玄侑宗久」の作品について語ろう!【僧侶
http://book2.2ch.net/test/read.cgi/books/1080911543/

http://www.genyusokyu.com/

431 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/13 00:08
妙心僧堂の雪丸老師
大工から僧侶へ
毎日雲水と一緒に托鉢に出て作務もする人らしい
衣は冬でも夏ごろもで過ごすらしい
いわゆる偉そうな説法は一切しないらしい
以上、大学の先輩よりの情報でした


432 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/17 21:04
>>431
雪○老師は脚がお悪いから
今は托鉢には出ていらっしゃらないよ。

433 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/17 21:47
>>425
もう見てないかもしれませんが…。
「死後の世界はありえない」についてですが、お釈迦様は「死後の世界(死んだらどうなるか)は考えるな」
と説いています。そのことに囚われることこそ迷いの元になるからです。
いわば、「そんなことを考える時間は無駄だ」ということですが、
禅宗でよく上記のように言うのは、このことではないのでしょうか?
特に、「知りたい君・教えて君」に説明しようとすると、結論を聞かなくては気が済まない方が多いので、
「ない」と言ってしまう事が多いかもしれません。

因果・輪廻については説明するとかなり面倒なので、
もう少々お釈迦様についての本を読んでみて下さい。

ある一面だけを見て「違う」と思わずに、
教えの本質に至るコースが違うのだと理解していただけるとありがたいです。
すぐ答えが出てきて、それを万人がすぐ理解できるのであれば、宗教も哲学も必要なくなりますから。

434 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/18 08:31
>>425
禅宗以前に仏教は各土地や風土に迎合してきました。
おそらく東北の恐山、豊川稲荷などは元来あった土着信仰の上に禅宗が後付けされたんでしょうね


435 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/18 12:39
>>434
曹洞宗の瑩山は、道元が最も批判した加持祈祷を、むしろ積極的に取り入れ、教線の拡大を計った。
背後には曹洞宗内での後継者問題もある。これは、開祖道元に対する最大の冒涜である。

曹洞宗の多くが、この瑩山(総持寺)の末寺に当たると聞く。
今や曹洞宗≠道元なのに、曹洞宗が禅宗を標榜しているのは何故か?

明治以降、永平寺派と總持寺派が一つになって曹洞宗を形成したことには
余りにもムリがあったのではないかと思う。
今こそ、永平寺派は、勇気を持って屹立すべきであろう。
これこそ道元の意に適うものであるはずだ。

436 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/19 09:41
鈴虫寺って面白いね!
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/963764409/


437 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/20 14:02
>>435

永平寺派と總持寺派が一つになって曹洞宗を形成したのは江戸時代、幕府の
仲介によるものですが何か?

438 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/20 21:03
曹洞宗の瑩山は、道元が最も批判した加持祈祷を、むしろ積極的に取り入れ、教線の拡大を計った。
背後には曹洞宗内での後継者問題もある。これは、開祖道元に対する最大の冒涜である。

曹洞宗の多くが、この瑩山(総持寺)の末寺に当たると聞く。
今や曹洞宗≠道元なのに、曹洞宗が禅宗を標榜しているのは何に故か?

江戸期に永平寺派と總持寺派が一つになって曹洞宗を形成したことには
余りにもムリがあったのではないかと思う。
両派に対する家康の調停は、単なる妥協の産物でしかない。
今こそ、永平寺派は、勇気を持って屹立すべきであろう。
これこそ道元の意に適うものであるはずだ。


439 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/21 01:17
>>438
なにか釣れますか?

440 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/21 11:25
禅僧だけど幽霊見えるんですが
まずいかな・・?

441 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/21 11:55
>>440
ココ逝けよ。
織田無道 公式サイト
懲りずにまたなんかやってるぞ!
http://www.mudo.jp/


442 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/21 12:19
自演、乙

443 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/04/21 16:16
はい。
小衲
織田無道と申しますが、
何か?

444 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/01 23:11
喝!

445 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/03 14:32
渇!?

446 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/04 23:59
山田無文老師の弟子なら、間違いがない。

447 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/05 12:23
名監督の下に名選手は育たんよ

448 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/05 12:27
なりきれば 可なり

449 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/07 13:39
北海道の札幌師に引っ越して来たのですが、
近くの「まともな禅寺」を教えてください。

450 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/07 21:04
>499
鈴虫寺でしょう。

451 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/07 23:06
予言レスか…
責任重大だな>>499

452 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/08 17:59
意味分からん。

453 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/08 23:44
このスレは白隠禅系が多いみたいだから気に入らないかも知れないけど、
札幌には中央寺ってなかった?曹洞宗の。
今は誰が師家をしてるのかしらないけど、有名なお寺ではあると思う。

ところで、私の知っている関東の臨済宗の僧堂では、臘八の時でも窓を全開にして坐っていたが、他でもそうしてるんだろうか。

454 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/09 00:22
>>453

臨済宗の寺っていいよね
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1073238633/

で訊けや。

455 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/09 05:44
禅て、何なんだろう。

456 :名無しさん@京都板じゃないよ:04/05/10 07:07
>>453
禅堂で坐る時は雨でも雪でも窓を開けるのが当たり前。

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